学座・とうごまの葉の下


キリスト教主義教育運動
by gakuza1994
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フクシマから学ぶ

原発再稼動の是非を問う
       ~クリスチャンが「フクシマ」から学ぶこと~
日時:2012年 8月6日(月)午後2時より(席上献金あり)
場所:北浜VIP 大阪市中央区北浜2-3-10 VIP関西センター8F
         京阪電車「北浜駅」・堺筋線「北浜駅」2番出口を出て真正面のビル
発題:正田眞次(福音主義キリスト者平和市民の会・運営委員長) パネラー3名(交渉中)

いまや、「フクシマ」 は世界のエネルギー政策を激変させるキーワード
となっています。聖書が語る創造の歴史はいまも主のみ手のうちにある
ことを信じる日本のキリスト者がこの課題の現場である日本で、
どのように考え、行動するべきなのかを、主に祈り、この地の平和を
求める者とさせていただきたく、この集会を企画しました。
ふるってご参加ください!!

主催: 福音主義キリスト者平和市民の会
代表: 正田眞次(070-5662-0918)
gakuza19940211@gmail.com
顧問: 小島十二(関西超教派クリスチャン戦争罪責告白者会・代表)
委員: 奥野泰孝、南野浩則、山下誠一郎
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# by gakuza1994 | 2012-08-03 12:58 | 福音主義キリスト者平和市民の会

集会のお知らせ

正田代表が,以下の集会で奉仕します。

お近くで参加の可能な方は,是非ともご参加ください。

「三浦綾子読書講座」

神様が日本にお与えくださったクリスチャン作家・三浦綾子さん。全作品は80数冊に及びます。
皆さんは,その中でどの作品をお読みになり,また愛読されていますか。
1964年に『氷点』が朝日新聞に連載されて以来,全国的な『氷点』ブームが巻き起こりました。『氷点』
は,テレビドラマ・映画化を何度も繰り返し,『塩狩峠』『海嶺』も映画化されています。他の作品もテレビドラマ化されたことからも明らかなように,彼女のストーリーテラーとしての実力は,ずば抜けています。
「神の愛と赦し」と「人間の罪」を縦糸に据えながらも,ご自身の生涯のテーマである「人生の苦しみ」と真正面から向き合った作品『泥流地帯』や『細川ガラシャ夫人』『千利休とその妻たち』に加えて,「戦争と平和」また「国家と教育」といったテーマを横糸にした『銃口』『青い棘』『母』『天北原野』『岩に立つ』,クリスチャン人物伝の『愛の鬼才』『夕あり朝あり』『ちいろば先生物語』『われ弱ければ』,さらに『新約聖書入門』『旧約聖書入門』の未信者向けの聖書解説などなど,作品は広範囲にわたります。  
小学生にも読める文章を心がけた彼女が目指したのは,作家だけでなく闘病時代から続けてきた読者との文通でした。毎日40通を超える読者からの悩みの相談に応えることこそ,彼女のライフワークだったのかもしれません。しかし『海嶺』や『細川ガラシャ夫人』などの歴史小説や史実を踏まえた人物伝のためには,彼女は取材活動や参考文献の精読などに決して手を抜いていません。彼女の文通を題材にしたエッセイ,作品執筆の逸話も含めた全作品は,彼女ならではの優しさ,きびしさ,真正直さ,ユーモアだけでなく,「まじめに生きる素晴らしさ」「神が生きておられること」が,滲み出ているものばかりと言えます。
若者たちの活字離れ,読書不足は深刻です。キリスト者学生も例外ではありません。来年は三浦綾子さんが召天して,はや10年。教会図書の三浦綾子作品も埃を被ってはいないでしょうか。
三浦綾子さんの作品を片手に聖書を読み,信仰を継承しましょう。50年後,100年後に「三浦綾子って,だれ?」と,教会の若者から質問されないために,これからも,いや今こそ,三浦綾子作品をお読みになりませんか?この「三浦綾子読書講座」でお会いすることを楽しみにしています。   (まさだしんじ)


その1
三浦綾子読書講座
日時:1月21日(水)10:00~12:00
会場:日本イエスキリスト教団・箕面伝道所
     (旧箕面希望教会)粟生外院2-6-21
課題図書:『続氷点』
講師   正田眞次(「学座・とうごまの葉の下」代表)
連絡先  0727-61-8639(鎌野牧師)


三浦綾子さんの小説『続氷点』を中心に,三浦文学に貫かれている愛と赦し,背景などについてお話しし,感想を分かち合います。
事前のお問い合わせは・・・正田眞次(学座・とうごまの葉の下) 070-5662-0918

その2
三浦綾子読書講座
日時:1月22日(木)10:00~12:00
会場:河内長野聖書教会
     (上田町155-1、0721-65-0273)
課題作品「泥流地帯」
講師:正田眞次氏(学座・とうごまの葉の下代表)
受講料:500円
連絡先:0721-65-0273(南野牧師) または正田まで・・・070-5662-0918

三浦綾子さんの小説『泥流地帯』を中心に,人生の苦難にいかに向き合えばよいのか,三浦文学のテーマ,背景,執筆活動などについてお話します。


「絵本の読み聞かせセミナー」
日時:1月28日(水)10時30分~12時
会場:ユースプラザ神戸EAST
(阪神御影駅山側徒歩1分,御影クラッセ4F,TEL 078-891-8222)
講師:正田眞次(「学座・とうごまの葉の下」代表)
連絡先:ユースプラザ神戸EASTT・・・・078-891-8222 または
正田眞次・・・070-5662-0918


信教の自由を考える講演会
日時:2月11日(木)13:30~15:30
会場:金山キリスト教会(金山クリスチャンセンター1F/JR&名鉄金山駅下車北へ徒歩5分)
講師:正田眞次(「学座・とうごまの葉の下」代表)
講演:「戦前へ突き進む潮流に抗するために~キリスト教会の社会的責任~」
参加費:無料(席上献金あり)
主催:「信教の自由」東海福音主義者の会
連絡先:佐々木保雄牧師(守山キリスト教会)・・・・052-794-4034
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# by gakuza1994 | 2008-04-15 18:35 | お知らせ

祖国の歴史を直視して(1):村岡崇光

祖国の歴史を直視して:
日木人キリスト者学徒の旅
村岡崇光
2005:10:11
TrinityTheo10gica1Co11ege,Singapore

過去四〇年あまりにわたって世界各地を廻って来ましたが、この時期は、私にとって学びの時でありました。しかし、単に聖書語学者としてではありませんでした。自分は、学者である前に一人の人間である、というのが私の信念であります。
こちらに参りましたのは、ある特定の科目を五週間教授するためでありますが、私自身いろいろなことを教えられております。ただ、ギリシャ語、ヘブライ語に限りません。 
たとえば、先週金曜日、当神学校創立五七周年記念礼拝が礼拝堂でありましたとき、陳(タン)先生の隣に掛けておりましたが、正面の聖餐式用の細長い机、それを支えている煉瓦、その傍らに立っている木製の質素な十字架が日本人たる私に何を意味するかを教わりました。
定年退職したいまになって、やっとアジア諸国、その民族、歴史、文化を少し学ぶようになったという自分がいささか情けなくなります。 
何年か前のことですが、韓国人の男性が本国の会杜から派遣されて、家族連れで福岡に数年間駐在しました。息子のチョン君は日本の小学校に通っていましたが、ある日、担任の先生が、今年の運動会は国際色豊かにやる、明日は校庭にはいろんな国の旗が翻っているぞ、と生徒達に言いました。すると、チョン君がすぐさま手を挙げて、「旗ある?」と尋ねたそうです。先生は、すかさず「もちろんさ、チョン」と自信たっぷりに答えたのですが、万が一と思って、あとで学校の倉庫に行ってみました。アメリカ、イギリス、ロシアなどたくさんの旗があったのですが、韓国の国旗は一本もなかったのです。先生は唖然としました。 
地理的には、韓国は日本に一番近い国です。福岡空港から韓国南の港湾都市釜山までは半時間そこそこです。先生は生徒の父兄に呼び掛けて勉強会をやることにし、韓国の歴史や、日韓関係について学びました。
過去においてもそうでしたが、これは現在もなお、平均的な日本人の姿勢としては典型的なものです。過去百五十年程の日本の歴史の原動力となって来たものは、欧米に追いつけ、追いこせでした。ことに、科学、技術面においてです。
しかし、同様のことは文化的な面についても言えます。英独仏語に比較すると、韓国語や現代語としての中国語を学べる大学、短大は限られています。 平均的な日本人は欧米人に対しては劣等感に脳み、アジアの民族に対しては優越感、否、軽蔑の念を抱いています。
前世紀の日本のアジア諸国に対する行動の根本的な原因の一つはここにある、と私は思います。
日本がその一番隣国に対していかに多くを負っているかを思う時、これは驚くべきことであります。日本の二大宗教の一つである仏教は六世紀に韓国を経由して日本にもたらされました。また、その時までの日本人は文盲率一〇〇%、それが中国の漢字に学び、これを日本語の特色に適応させて仮名文字を編み出し、明治維新までは公の文書はおおかた漢文で書かれ、教養ある日本人は漢文の古典に親しんでいました。
私は、高校のあった町に英語の聖書研究会をしておられた敬度な米国人バプテスト派の宣教師の祈りによってキリスト教信仰に入り、大学一年の時、この宣教師から洗礼を受けました。
一九六四年にイスラエル政府の奨学生として、エルサレムのヘブライ大学に入学しましたが、それより何年か前にキリスト教に入信していた許嫁も一年あとに合流しました。その時点では、何年かしたら、鹿児島の湖で受けたバプテスト派の本物の洗礼とは別な形の洗礼を受ける、言ってみれば再浸礼派(アナバプテスト)に宗旨がえするることになろうとは、私達のいずれも思ってもみませんでした。
エルサレムでの洗礼がどういう形のものであったかは、今日は申し上げません。私どものヴィア・ドロローサの次の時点に進みましょう。
エルサレムで博土号を戴いてほどなくして、幸いにも英国のマンチェスター大学にセム語学の教師として奉職することとなりました。英国滞在の一〇年間、過去の二度の世界大戦の英人戦死者を追悼する、十一月の第二日曜には、BBCは年々歳々、「戦場に架ける橋」という有名な(あるいは悪名高い、と言うべきか)映画を放映しました。
昭和天皇が訪英された時の芳しくない場面もテレビで見ました。その後、メルボルンに転勤になりましたが、昭和天皇が御隠れになった時は、だれがオーストラリアを代表して葬儀に出席すべきかでひともめしました。誰も出席したくなかったのです。しかし、私達の辛い再教育はこれで終わったのではなかったのです。
一九九一年の夏ライデン大学のヘブライ語教授として就任して来た私は、なにやらただごとならぬ様子に気がつきました。その直前に訪蘭した、時の海部首相がハーグの東印度記念碑の前に献げた花束がその夜のうちに近くの池に放り込まれるという事件が発生していたのでした。   
早速大学の日本語学科の図書館に足を運んで過去数週間の日本の新聞をめくってみたのですが、二大新聞のいずれもこのことには触れていないのには苛立ちを覚えました。 総理大臣の公式の外遊となれば新聞記者が雲霞のように随行することは周知のことです。
家族をひき連れて渡り歩いたこの三つの国にはいずれも太平洋戦争中日本軍の手によって受けたひどい仕打ちをいまなお忘れられないでいる人達がいたのです。彼等は日本に戦争で勝ったのですから、不満、鬱憤は一層つのったわけです。 
私たちはこの国にしばらくは腰を落ち着けるつもりで来ましたから、家内と私はこれではいけないと思い、この問題について読みあさり、考えました。
また私たちが購読しているNRC  Hande1sb1adは、鵜の目鷹の目で関連記事を探しました。一九九六年の二月に同紙にこの有力紙にしてはいささかいただきかねると思える一頁大の記事が、日本海に浮かぶ竹島をめぐっての日韓の紛争にこと寄せて「日本に戦争を仕掛けたら痛快だのに」という題でのりました。 
私が編集部に出し、のちに同紙に掲載された抗議文がきっかけとなって、その時は未知のオランダ人の女性と知り合い、太平洋戦争中、日本軍がインドネシア各地に設けた民間人抑留所で数年間を過ごした時の辛い記億と長年にわたる葛藤を経られたこの方を通じて、さらに多くの同じような境遇にあるオランダ人の知己を得ました。
その一人は、私のライデン大学の同僚で、私とヘブライ語教授職を争った人でした。なかには、辛い内的葛藤に打勝った方々もありましたが、他方いまだに胸中にむしゃくしゃする気持ちをオランダ人らしい率直さで語って下さる方々もありました。二〇〇〇年に、家内と、日蘭の知人達と共に日蘭対話の会を計画し、インドネシア帰りの六〇人ばかりのオランダ人、その家族や友人、オランダ在住の日本人二〇人程を招待し、我々の共有する歴史、ことに太平洋戦争とその後をめぐる歴史に取り組むことにしました。  来月第九回の集会が開催されます。
泰緬鉄道敷設工事のとき、またインドネシアで起こったことを私達は知りませんでした。日本の学校ではそういうことは教わりませんでした。もっとも、原爆のこと、戦争末期の都市への無差別爆撃のことは教わりました。
さきほどアメリカの映画に言及しましたが、映画にはその性質上限界があります。具体的な事実や数字に乏しいのです。皆さんの中の大多数の方は戦後世代ですから、ここからさして遠くない所で起こったのですが、御存知ないかも知れません。当時の国際的な取り決めに反して、日本軍は、主として英軍および英連邦国軍の捕虜六万一八〇〇人あまりを泰緬鉄道の建設にあたらせたのです。おそろしくお粗末な食料事情、不十分な医療品のため、また工事の現場監督者達による度重なる暴力がもとで、このうち一万二三〇〇人程が死亡しました。ひどいところでは、枕木一本に死者一人が出たと言われています。
今年のはじめ、ごく最近できたというこの悪名高い鉄道についての記録映画をオランダのテレビで見ました。土木技術の観点からして驚異的な工事ではないか、とひどく感銘を受けていた若いインド人技師が現場の視察に出かけたのです。ビルマ、タイの密林を縫って四一五キロもある鉄道を、肉体的にも疲弊し切った、やる気のさらにない人間を使って、お粗末な機具で、一年以下で完成したというのにすっかり感心していたのでした。しかし、現地の案内人につれられて全行程を辿って行くうちに、この工事の非人間性、残虐さ、野蛮さにうちのめされたのです。いたるところに頭蓋骨や白骨がごろごろしていました。  
あたりを見回しても、墓碑ひとつ建っているわけでなし、ささやかな石塚すら見当たりませんでした。これは、前述の一万人以上の英国人、豪州人、ニュージー'ランド兵の遺骸であるはずはありませんでした。彼らの名前その他は分かっており、みんなちゃんとした埋葬式をしてもらっています。クワイ川にかかる橋のたもとに近年、生存者達の手で不幸な同僚たちを遺悼して建てられた記念碑にはアングロサクゾン系と思われない名前は刻まれていません。
この若い技師は、このときはじめて、周辺のアジア諸国から同胞のインド人多数を含む二〇万程の労務者がだまされて、あるいは強制的に連行されてこの工事に当たらされたことを知ったのでした。日本側の資料によれば、このうち四万二〇〇〇人程、英国側の資料では七万四〇〇〇人程が死亡したと推定されています。記録映画は、インド人技師が帰国する汽車の車中で、頭を深く垂れ、身を震わせている姿をもって終わっていました。
この記録映画を観る何年か前から、私達が真剣に考えなければならないことが、日本の近代史にはほかにもあることに気付きはじめていました。それは、大平洋に浮かぶいくつかの島をも含めてアジア諾国と日本との関係でした。
それは、一九四一年の太平洋戦争勃発をもって始まるのではありません。また、その後、日本軍によって侵略、占領された国や島に限りません。
日中戦争は私が生まれる一年前の一九三七年に始まっています。一九一〇年には朝鮮半島全域が日本に併合されて植民地となりました。台湾はもっと前に日本の植民地になっています。
新しい植民地宗主国あるいは占領軍と協力することの利をいち早く見抜いたごく一握りの人々を別とすれば、日本の勢力圏に組み込まれた国あるいは島の住民の大多数は、身体的、物質的にいろいろな辛酸を舐めさせられ、人間としての尊厳を剥奪され、貶められました。宗主国がどこの国であろうと、思い遺りある植民政策を云々することは自己欺瞞でしかありません。二〇世紀の前半にこの地域に日本が与えた被害は軍によるものだけではありません。
もちろん、植民地へ出かけて行った日本人の中には善意の、親切な、礼儀正しい日本人もいたでしょう。日本兵の中にすら、情のある、尊敬に値するような兵隊もいたことでしょう。
しかし、彼らとても、帝国主義的、軍国主義的植民地政策、領土拡大の当時の国策の道具、その歯車の一つであったことは否めません。生命、財産の恣意的破壊、搾取、心身両面に対する暴力が夥しい記録として残っています。破壊された建築物や自然、文書、写真、また口承の歴史として。
残念ながら、ごく少数の例外をのぞいて、当時の日本のキリスト者も潔白を主張することは出来ません。
家内と二人で今回のシンガポール行きの準傭をしている時、私はヘブライ語聖書や七十人訳の他に、シンガポールとその周辺国の日本軍による三年半に及ぶ占領に関する本や論文をいくつか読みました。そのひとつは許雲樵・蔡史君(編)、田中宏・福永平和(訳)「華人虐殺事件の証明:日本軍占領下のシンガボール」(青木書店、1986年)という中国語からの部分訳でした。
内容が余りにもきびしくて、読みながら何度もぺージを閉じました。中国本土において日本軍が決定的な勝利を得られず苦戦を続けたことが、シンガポール在の何千人あるいは何万人ともいわれる犠牲者をも含む在外華僑に対する日本軍による無数の残虐行為をもたらしたことは広く知られています。
昭和三〇年生まれの戦後世代の歴史家、林博史「裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判」(岩波書店、1998)も読みましたが、著書は戦後、英国並びにオーストラリアによって東南アジアで行われた戦犯裁判に関する文書、資料を渉猟し、また現地で多数の生存者や証人にも会って証言を収集しました。マレーシアのペラク州のイボで開かれた裁判で取り上げられた一件だけにここでは触れたいと思います。 
ヨーロッパ人と現地人の間に生まれた合の子の女性で、夫と共に医者を開業していて、抗日ゲリラの負傷者の治療に手を貸していたとの嫌疑で憲兵に逮捕された人に関係するものでした。彼女が拘留中どのような凄まじい、何日にも及ぶ拷問を受けたかはあまりにもむごたらしいので、ここで詳細を述べることは差し控えます。
彼女の口から情報が吐かせられないと分かるや、わずか七歳の娘を連れて来て、三メートル程の木のてっぺんから吊り下げ、その下で火を焚き、母親はそのそばにもう一本の杭に縛り付けて繰り返し笞を加えられました。それでも娘は、「私は大丈夫よ、お母さん。私のこと心配しないで」と声を大にして励ましたのでした。母親は、戦後英国で受けた治療も甲斐なく、拷問によって受けた傷から敗血症となり、一九四九年に死亡しました。娘は英総督からその勇気をたたえる手紙を送られたということです
。九一九人の証人に関する三〇四件が東南アジアにおける英国による戦犯裁判の対象となったそうですが、これが、実際に実行された戦犯行為のほんの氷山の一角に過ぎないことは歴史家の間では広く認められています。いろいろな理由から起訴されなかったのです。
このような自国の歴史をつきつけられて、日本人として、また日本人キリスト者として私達はどうこれに対応していったらよいのだろう、というのが私達の問題でした。

※ 祖国の歴史を直視して:(日木人キリスト者学徒の旅)を,許可なく複写利用しないで下さい。
※ ご利用を希望される方は,「学座・とうごまの葉の下」または,村岡崇光氏までご一報下さい。

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# by gakuza1994 | 2007-10-01 19:44 | 特集1

リンク

「福音主義キリスト者平和市民の会」blog
「三浦綾子読書会」HP
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# by gakuza1994 | 2007-10-01 13:25 | リンク

「学座・とうごまの葉の下」 目的と理念

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。 
マタイの福音書11章28~30節


主イエスのくびきを負って
 
①「いのちの尊さ」
②「生きる目的」
③「いかに生きるか」

主イエスから学ぶための
キリスト教主義教育運動
である
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# by gakuza1994 | 2007-10-01 01:47 | 目的と理念

「福音主義キリスト者平和市民の会」

「福音主義キリスト者平和市民の会」

「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」
マタイの福音書5章9節

平和をば唯祈るより術なきか 組織なく気力なきクリスチャン我等
今度こそ迎合クリスチャンでゐたくなし 外電は原子戦争の悲惨を伝ふ
前川正    (三浦綾子『道ありき』より)

クリスチャン作家三浦綾子さんは,自伝小説『道ありき』で,次のように述べています。「わたしはこの本(「きけわだつみのこえ」)を読んで,単なる平和論では,ほんとうの平和が来ないのを感じた。ほんとうに人間の命を尊いと知るなら,一人一人の胸の中に,残虐な人間性を否定させる決定的な何かが必要だと思った。それをわたしは,やはり神と呼ぶより仕方がなかった。」また彼女の入信に多大な役割を果たした前川正さんの右記の短歌を同書で紹介しています。24歳と26歳で敗戦を迎えた二人の正直な告白です。

「愛国」を育むために教育基本法が「改正」されたかと思うと,あっと言う間に憲法9条を「改正」するための国民投票法が成立し,日本国憲法第九条を「改正」して再び「戦争をできる国」すなわち「戦争をする国」へと,また日本は確実に一歩近づきました。

日本国憲法がアメリカの押し付けではなく,日本側からも「戦争放棄」を提言し,また「国民主権」と「象徴天皇制」を明記した日本人憲法学者の手による民間草案がGHQ草案に盛り込まれたことも明らかにされてきました。「アメリカの押し付け」は,憲法改悪を国民に納得させるために改憲派の人々がずっと用いてきた詭弁と言わざるを得ません。

多くのキリスト教会とクリスチャンが日本の侵略戦争に積極的に協力したことは否定できません。しかし戦後,キリスト教会が悔い改め,日本国民が猛省したからこそ,戦争を放棄した憲法第九条が,60年以上にわたって大きな役割を果たしてきたのです。

クリスチャンは祈るために召され,「平和をつくる者」へと召されています。今度こそ迎合せずに,祈り,力を合わせ,神から与えられた力で平和つくりに励みましょう。クリスチャンの平和運動は世の平和運動とは質が全く異なります。クリスチャンは,残虐な人間性を否定させる決定的なお方である神,すなわち十字架の上で真の平和をつくられた主イエス・キリストの力によってのみ平和つくりを行なうのですから。  
クリスチャンの生き方が,いま再び問われています。

「戦争ができる国」「戦争をする国」に今また協力するのか,それとも戦争を拒否し,平和つくりに励むのか,「福音主義キリスト者平和市民の会」の「平和つくり」の活動に,あなたも参加なさいませんか?

◇ 活動内容 
①「平和セミナー」を開く  また各教会や各教団の「平和セミナー」に講師を紹介する
②会員や諸教会に定期的なニュースや情報を送信する 
③日本福音同盟(JEA)社会委員会や「平和を実現するキリスト者ネット」の活動に参加協力する
④当面は学習・啓蒙が中心だが,必要になれば署名活動やビラ配布などを通じて市民に訴える


「福音主義キリスト者平和市民の会」規約
平和をつくり出す人たちは,さいわいである,彼らは神の子と呼ばれるであろう。
マタイの福音書5章9節

第1条(名称) この会は「福音主義キリスト者平和市民の会」と称する。

第2条(事務局)この会には事務局をおく。

第3条(目的) 聖書信仰に立つ福音主義キリスト者が協力し平和つくりの活動を行なう。
(当面の目標を日本国憲法9条の改悪に反対し日本国憲法9条を守ることとする)

第4条(組織)  
1.この会は趣旨に賛同する個人会員から成る。         
2.この会には,総会,運営委員会(運営委員長を含む3名以上)をおく。
3.総会は毎年1回定例総会を開く。総会は委任状を含め会員総数の5分の1で成立し,出席会員の過半数をもって議決する。
4.総会では,活動報告・収支決算の承認,活動計画・予算を議決,運営委員の選出,その他の審議を行なう。
5.運営委員会は,運営委員長を互選し,総会の議決に基づき活動を運営する。

第5条(会計)
1.この会の会計は,個人会費(年間 2000円)と自由献金でまかなう。
2.会計年度は4月1日から翌年の3月31日までとする。
3.収支決算は,総会に報告する。
4.会計監査を2名おく。

第6条(規約改正)  規約の改正は,運営委員の3分の2以上の賛成で総会に発議し,総会における出席会員の過半数の賛成を必要とする。

第7条(付則)  この規約は2007年2月10日より発効する。

2007年度運営委員(順不同)
奥野泰孝(芦屋福音教会),小島十二(日本イエス・キリスト教団芦屋川教会),
正田眞次(神戸恵みチャペル),南野浩則(日本メノナイト・ブレザレン教団河内長野聖書教会),
森田美芽(日本メノナイト・ブレザレン教団枚方キリスト教会)
山下誠一郎(フェロッシプ・ディコンリー福音教団東鳴尾ルーテル教会)

「福音主義キリスト者平和市民の会」blog
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# by gakuza1994 | 2007-10-01 01:46 | 福音主義キリスト者平和市民の会

平和読書会

「平和読書会」について
クリスチャン作家の三浦綾子さんは,昭和の戦争に協力したことを猛省し,戦後クリスチャン作家として多くの作品の中に「戦争」と「平和」を扱ったものが少なからずあります。
その代表的な作品が「銃口(じゅうこう)」(小学館文庫)また「青い棘」(講談社文庫)でしょう。
そうした三浦文学だけでなく,戦後世代が戦争と平和を考え,「平和つくり」を志す上で,助けとなる文学や,今日までの戦争やこれからの「平和つくり」に欠かせないような書物を,共に読み合って学ぶことを目的としたものです。
今後,「福音主義キリスト者平和市民の会」の主催,また「学座・とうごまの葉の下」が応援して各地で「平和読書会」が定期的に開かれるように準備を進めています。
詳細を知りたい方は,下記までお問い合わせください。

PHS・・・・・・・・・070-5662-0918 (正田眞次)
E-mail・・・・・・・masada@wind.sannet.ne.jp
PHS/E-mail・・・・ masada@dj.pdx.ne.jp
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# by gakuza1994 | 2007-10-01 01:32 | 平和読書会

連絡先

学座・とうごまの葉の下

PHS・・・・・・・・・070-5662-0918 (正田眞次)
E-mail・・・・・・・masada@wind.sannet.ne.jp
PHS/E-mail・・・・ masada@dj.pdx.ne.jp

福音主義キリスト者平和市民の会

PHS・・・・・・・・・070-5662-0918 (正田眞次)
E-mail・・・・・・・masada@wind.sannet.ne.jp
PHS/E-mail・・・・ masada@dj.pdx.ne.jp

携帯電話・・・・・・090-3650-4837 (奥野泰孝)   
E-mail・・・・・・・・yasutaka.okuno@ezweb.ne.jp

携帯電話・・・・・・090-8529-0420 (山下誠一郎)  
E-mail・・・・・・・・milsonspoint2007@msn.com
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# by gakuza1994 | 2007-10-01 01:22 | 連絡先

絵本の読み聞かせ

私は,家庭や教会の奉仕で絵本や本の読み聞かせを継続してきましたが,四男が通う小学校4年の2つのクラスで,2ヶ月間国語の授業で絵本の読み聞かせをさせていただきました。彼の隣のクラスが学級崩壊し,ベテランの先生が休職する事態を引き起こしたからです。また4年生の保護者会で,母親に向けて「読み聞かせ」から始まる親子対話の大切さをお話しし,加えて道徳の時間に「いじめ・学級崩壊」を考える特別授業をさせていただきました。授業には母親も参観され,絵本の読み聞かせを共に楽しみ,熱心に耳を傾けてくださいました。公立学校ですから直接には福音を語れませんが,「本の読み聞かせ」の働きはイエスさまの「種の譬え」のように子どもたちの心を耕して良い地にし,みことばを聞いて実行できるように導く働きだと思い,祈りつつ取り組んでいます。「信仰は聞くことから始まる」(ローマ人への手紙10章17節)からです。各地の幼稚園や学校,教会,また公民館などで「読み聞かせ」や「読み聞かせのセミナー」また「子育てセミナー」などを続けさせていただいています。 「主のことばを聞くことのききん」(アモス書8章11節)への危機感をもち,この使命を共に果たしましょう。                                              学座・とうごまの葉の下 正田 眞次


「絵本の読み聞かせ」と子育てのセミナー,また実際に幼児や児童さらに青少年のための絵本の読み聞かせや本の朗読をする「おはなしの会」を下記のようなテーマで,開くことができます。
 各教会でご検討いただければ幸いです。もちろん子育て講演会や礼拝での奉仕さらに教会学校の時間に子どもたちに絵本の読み聞かせを実際に持つことも可能です。
  
講師:正田眞次(「学座・とうごまの葉の下」代表)
時間と期間:各回は,1時間~1時間30分。 期間は,1~2ヶ月から半年以上でも可能です。
内容:絵本の読み聞かせ,本の朗読,読み聞かせの学び,本の紹介,読み聞かせと発声練習ほか
※もちろん必要に応じて,1回から何回にでも変更可能です。詳細は,ご相談に応じます。

◆各回のテーマ(実際になるべくテーマに関係する絵本を読み,お話しをいたします)
1)なぜ絵本の読み聞かせが大切なのか・・・生涯の最高の宝物(申命記6:4~7)
2)親子が一緒にゆっくり過ごすひととき(詩篇128篇,第二テモテ1:5,3:14~15)
3)子どもの聴く力を育てる(ネヘミヤ8章,アモス8:11,マルコ10:13~16)
4)対話(コミュニケーション)を大切にする子育て(マルコ9:14~29,エペソ6:4)
5)ことばを学習する(創世記1章,ヨハネ1:1~18,ローマ10:17,第一ペテロ1:23~25)
6)自分の頭で考える子ども(創世記2章,ヨハネ19:38~42,ローマ12:1~2)
7)人間だけに神がお与えになった最高の能力(エレミヤ31:31~34,ヤコブ1:5)
8)ルールを守る力を育てる(創世記2~3章,申命記4:7~8,12~14,ダニエル書6章)
9)責任を果たす力を育てる(創世記39~45章,エレミヤ29:1~9,マタイ11:25~30)
10) 世界中でただ一人の大切な子ども(詩篇139:1~18,イザヤ43:4,ヨハネ3:16)
11) 命の尊さと人の痛みを知る子ども(詩篇146篇,マルコ2:27,ローマ12:15)
12) 想像力を養う=愛を育む(ヨナ4:10~11,マタイ25:31~46,ピリピ2:3~11)
13) 自分の意見や思いを表現する子ども(ダニエル書1~3章,第一ペテロ2:13~17)
14) 創造力を育てる=文化を生み出す(創世記1:26~28,第一コリント10:23~11:1)
15) 主体性を育てる=個性を伸ばす(第一サムエル15:1~13,使徒9:27,15:39)
16) 感動と喜びを人に伝える子ども(詩篇96:1~4,ルカ2:15~20,マルコ16:15)
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# by gakuza1994 | 2007-09-27 23:53 | 絵本の読み聞かせ

三浦綾子読書会

「三浦綾子読書会」は,聖書,キリスト教,三浦文学に関心のある人が相集い,課題図書の内容やテーマに関して教えられたことや感想,さらに三浦作品から教えられたことなどを分かち合いながら,互いに信仰を励まし合うひととき,またイエスさまを紹介するひとときです。
三浦綾子さんの本をお読みになられたことのない方でも,ぜひお気軽にご参加下さい。

「三浦綾子読書会」は,2001年より長谷川与志充代表(日本聖泉基督教会連合・牧師)が提唱され,現在では全国約40箇所で定期的に開催されています。読書会部門・聖書部門・朗読部門・ビデオ部門・ツアー部門・演劇部門・子ども部門・平和部門・アシュラムなどの活動が行なわれています。

なお「三浦綾子読書会」にはHPがあります。「全国三浦綾子読書会」(http://miuraayako.holy.jp/)で検索してみて下さい。 「三浦綾子読書会」HP

「三浦綾子読書会」に感謝して      「三浦綾子読書会」顧問  三浦 光世
2001年の何月であったろうか。東京在住の牧師長谷川与志充先生が,三浦綾子の著作を読んで話し合う会を企画して下さった。以来,東京,大阪,仙台で度々会は持たれて来たが,先生は,はるばる旭川にもお出でになられて,読書会を開いて下さった。   忙しい先生が,大切な牧会の時間を割いてのこの仕事,いつも恐縮あるのみである。始めは,妻綾子の書いたものを読み合って,何の足しになるかと失礼なことも思ったが,長谷川先生の指導は大きく,他者の著作をここまで深く読み取り得るものかと,毎回感服し,感謝が大きくなるばかりであった。   既にこの読書会を通して受洗者まで生まれていることも聞いている。妻綾子も,天国でどんなに感謝していることかと思う。更に読書会が用いられること,そして参加者が増し加わることを祈ってやまない。
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# by gakuza1994 | 2007-09-27 23:49 | 三浦綾子読書会

本読みのひろば2

◆『天皇の逝く国で』◆みすず書房◆ノーマ・フィールド著◆大島かおり訳◆二八〇〇円+税
◇著者は米国人を父とし、日本人を母として、米軍占領下の東京に生まれた。高校卒業後に米国に渡り、シカゴ大学で日本文学と日本近代史を教えた学者である。
◇一九八八年から八九年にかけて昭和天皇が逝く日本では、一斉に自粛ムードが全土を覆った。この歴史的時間を東京で過ごした著者は、日本人の行動様式や心のメカニズムを改めて知る。その行動様式とメカニズムに潜んでいる問題性を詳述したのが本書である。
◇著者が取り上げたのは、天皇、日の丸、護国神社という、戦前の日本と大東亜戦争を押し進めた、日本を象徴する人間、旗、施設に対して抗議の意を表し、手を上げた三人の人物である。沖縄の国体会場で日の丸を焼いた知花昌一、殉職自衛隊員であった夫の護国神社合祀に対し訴訟を起こした中谷康子、天皇の戦争責任発言をした本島等長崎市長の三人である。
◇彼等の行動とそれに対する反動は、戦争否定の平和思想と戦争を推進する危険思想を明示する。
◆『ならずもの国家アメリカ』◆講談社◆クライド・プレストウィッツ著◆村上博美・鈴木主税訳◆二二〇〇円+税
◇一見疑いたくなるタイトルである。米国政府内で、「ならずもの国家」と呼ばれてきた国があるが、著者は、サダム・フセインのような残忍な輩や独裁政権と同列に置くつもりはないが、今や、米国こそが、「もはや逸脱して、抑制が利かず、理屈が通らぬ、予測不能な性向をもつ」ならずもの国家になってしまった、と警告している。
◇著者は、日本の大学に留学した経験もある知日家で、国務省勤務、民間企業勤務の後、商務省に入り、レーガン政権では商務長官特別補佐官として日米貿易交渉にあたった。現在は経済戦略研究所々長であるが、米国長老派教会のクリスチャンホームに育ち、今も年長のメンバーとして教会生活を送る。
◇著者は、米国をマタイの福音書五章十四節にある「丘の上の町」に喩え、米国が世界を導く光となる理想の国だと信じてきたが、今、完全に世界と敵対するばかりか、自らの理想からも逸脱し、世界に類なき軍事大国、すなわち帝国になった、と説明している。
◇地球温暖化防止のための京都議定書を批准しないと発表したブッシュ政権は、包括的核実験禁止条約の拒否、国際軍事裁判所への不参加、弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)の破棄、その他数えられないほどの単独行動主義に走り、平和を好みながらも戦争を繰り返す軍事中心経済の国家になったと言う、政権内部にもいた人物のことばには説得力がある。
◇靖国神社問題をも含め、日本が最大限の努力をして、第二次世界大戦に終止符を打たねばならぬ、という具体的な提言も、保守的なクリスチャンの発言であるだけに、大いに参考になる。
◆『現代の戦争被害~ソマリアからイラクへ~』◆岩波新書◆小池政行著◆七〇〇円+税
◇戦争に反対の意思を表現しないことは、賛成することを意味する。無関心も同様である。戦争に反対しない人は、戦争被害の惨状の詳細を知らないから、反対しないと言わざるを得ない。もし無残な実態を知ったならば、反対の声を挙げずにはいられないだろう。
◇一般大衆であれ政治家であれ、被害の現実を知っても、なお戦争に反対しないとすれば、それこそ残虐者、テロリストと呼ばなければならない。現代の戦争被害は、それほどまでに惨たらしいのだ。
◇ベトナム戦争はベトナム人死者約二〇〇万人、負傷者約三〇〇万人、米軍死者約六万人で、負傷者約十五万人を出したことを例示し、現代の戦争が圧倒的な民間人犠牲者を出すことを、著者は説明する。
◇ベトナム戦争の猛省に立って米国が考え出したのは、武力介入を止めることではなく、「ゼロ・オプション」と呼ばれる、自国兵士の犠牲ゼロを目指す戦争方法である。この戦闘方法が、「現代の戦争でさらに多くの民間人の犠牲を生じさせているのではないか」を追求することが、本書の目的である。だが米国が起こした湾岸戦争、アフガニスタン攻撃、イラク戦争は、米兵の死者をゼロにはできなかったし、当事国双方に多くの犠牲者を出した。
◇一九九〇年代に米国がソマリアに「人道的」介入をして以来、国連や国際世論を無視して突っ走る米国単独の軍事行動が「ゼロ・オプション」と相まって、数多くの民間人犠牲者を出した現代の戦争被害の惨状を、本書は描いている。
ソマリア、ボスニア・ヘルツェコビナ、コソボ、アフガニスタン、イラクでの被害を露にしていく。
◇著者は、北欧担当の外務官僚を経て、日本赤十字社国際部参事。日本赤十字看護大学、青山学院大学法科大学院などで国際人道法を教えている。
◆『在日』◆講談社◆姜尚中(カン・サンジュン)著◆一五〇〇円+税
◇著者の姜尚中は、東京大学社会情報研究所で政治学と政治思想史を教えているが、テレビ・新聞・雑誌などで、幅広い問題に発言してきた。彼は伝わらない事や伝わりにくい事を伝える使命感から、メディアを通じて積極的に発言するのだが、彼がメディアに登場するきっかけとなったのは、そもそも外国人登録法による指紋押捺拒否の埼玉県「第一号」となったことにまで遡る。だが彼がクリスチャンであることと入信の経緯を知る人は、筆者も含めて少ない。押捺拒否を支えた土門一雄牧師がいなければ入信はなかった、と言う。押捺拒否を悩む原因を作った日本人こそが悪いと、土門牧師は著者を励まし続けたのである。
◇本書は、「在日」二世として熊本に生まれて以来、「永野鉄男」から本名の「姜尚中」に変わるまでの歩みを、同時代の世界の時事問題、日韓関係の出来事などを織り交ぜながら描いた、著者が言うように「自伝的な記念碑」である。
◇オモニ(母親)から始め、著者に影響を与えた「二人のおじさん」そして「天皇と父の死」と身近な人物や出来事を、「在日」と絡めて説明し、在日問題の本質を見事に描いている。父親が死に、墓石に刻む名前を家族で話し合った時、著者は迷った末に、日本名で刻むことを主張した。「在日」として生きた人々の記憶を子孫が決して忘れないためだ、と著者は説明する。
◇「在日」が強制連行という日本の侵略戦争の遺物であるとの理解は、戦後六〇年を迎え、ますます風化しつつある。日本人が「在日」の悲哀の歴史を忘れないために何ができるだろうか。
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# by gakuza1994 | 2007-09-27 22:58 | 本読みのひろば2

もう一つの戦争罪責を負う(2)

《キリスト教会の戦争罪責》
 かつては靖国神社国営化を画策し(一九六九年国会に「靖国神社法案」が提出され、一九七四年五月衆議院本会議で強行採決により可決、しかし衆議院法制局の「見解」によって参議院で審議されぬまま廃案となった)、それが困難と判断すると首相の公式参拝によってその慰霊の意義を継承するような政党を選挙のたびに選び続ける国民の大多数に、その過ちを明確に示しえなかった預言者としての責任こそが、戦前・戦中から一度たりとも途切れることのなかった戦後のキリスト教会が担い続けるべき戦争罪責と言わねばなりません。   
何故ならば、戦前・戦中のキリスト教会は、もし兵士が戦死したなら靖国神社への合祀という保証と引き換えに皇軍兵士を戦地に送り出すという国家の戦争の仕組みに、以下のごとく自主的かつ積極的に協力していたからです。
❶日本基督教団合同の前年の一九四〇(昭和十五)年に青山学院にて開催された皇紀二六〇〇年奉祝全国基督信徒大会で一五〇〇名の大聖歌隊が「皇紀二六〇〇年奉祝歌」を合唱し、「大日本帝国が進路を謬ることなく、国運国力の進展が一君万民尊厳無比である我国体に基づくものと信じて疑わず・・・国家は体制を新たにし大東亜新秩序の建設に邁進しつつあり、吾等基督信徒もまた之に即応し教会教派の別を棄て、合同一致以て国民精神指導の大業に参加し進んで大政を翼賛し奉り、尽忠報国の誠を致さんとす」と宣言し、創造主が歴史を支配されることを否定し、天皇の歴史支配を認め、「皇紀」という歴史観に立って国体に基づく大東亜秩序建設の邁進を誓った。
❷一九四一(昭和十六)年六月二十四日に日本基督教団を設立し、「我ら基督信者であると同時に日本臣民であり、皇国に忠誠を尽くすをもって第一とする」と宣誓し、主イエス・キリストと父なる神へのキリスト信仰による従順よりも皇国(天皇が支配する国家)への忠誠を第一とし優先させた。
❸一九三八(昭和十三)年に、日本基督教会大会議長富田満が朝鮮を訪問し、長老教会に神社参拝を奨励した。
❹一九四二(昭和十七)年一月に日本基督教団統理が伊勢神宮を参拝し、前年の教団合同の報告並び今後の教団発展を祈願した。すなわち教団の成長を伊勢神宮の祭神、天照大神に帰した。
❺太平洋戦争の雲行きが怪しくなる一九四三(昭和十八)年に「八紘一宇」という皇国思想に基づいて、「日本基督教団より大東亜共栄圏(アジア全域)に在る基督信徒に送る書翰」を送り、大東亜諸民族解放のための聖戦を共に戦うことを奨励した。
以上は、その戦争協力の代表的なものに過ぎません。キリスト教会が日常的に行なった戦争協力は枚挙にいとまがありません。各キリスト教会が時に悩みうめきながら、また時に自ら進んで戦争に加担していったことは、紛れも無い事実なのです。
《戦争罪責としての靖国問題》
戦後四十年目の一九八五(昭和六〇)年八月十五日に行なわれた中曽根康弘首相の靖国公式参拝に対する違憲訴訟が直ちに三箇所で起こされました。播磨靖国訴訟での高裁判決(一九九三年三月)は、憲法判断を避けて確定したのに対し、九州靖国訴訟の高裁判決(一九九二年二月)は「公式参拝を継続すれば違憲」としましたし、関西靖国訴訟の高裁判決(一九九二年七月)は、公式参拝を「違憲の疑い」があるとしました。また岩手県議会の「天皇と首相による公式参拝を求めた決議」に対して起こした岩手県民の違憲訴訟に対する仙台高裁の判決は、次のように述べて、「天皇及び内閣総理大臣の靖国神社公式参拝を違憲行為」としました。被告と国が最高裁への特別抗告しましたが、却下されて仙台高裁の判決は確定しました。判決文の一部は以下の通りです。
「天皇、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様からみて国又その機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべき・・[中略]・・公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上のかかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし、相当とされる限度を越えるものと断定せざるをえない。したがって、右公式参拝は、憲法二〇条三項が禁止する宗教的活動に該当する違憲な行為といわなければならない。」
「天皇の公式参拝は、内閣総理大臣のそれと比べられないほど、政教分離の原則との関係において国家社会に計りしれない影響を及ぼすであろうことが容易に推測される」
従って戦後、中曽根首相を始めとする首相の靖国神社公式参拝を違憲とする司法判断が定着してきた上でもなお、小泉首相の靖国公式参拝が数回繰り返されてきたことは大問題だと言わねばなりません。何故ならば首相が国民によって直接選ばれていないとは言え、主権を有する国民が選出した国会議員が指名した内閣総理大臣が、違憲と司法が判断した行為を繰り返すらば、それはまた、憲法九十九条にある「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という[憲法尊重擁護の義務]をも犯すことにもなります。
戦争を遂行するための精神的な支柱であった靖国神社に国民の代表が公式参拝するなら、五〇年戦争(日清戦争から太平洋戦争までの五〇年間におよんだ戦争)が二〇〇〇万人をはるかに超えるアジアの人々の多大な犠牲者、また約三〇〇万人におよぶ日本の戦争犠牲者(兵士と一般市民)をもたらしたことへの猛省に立って制定された日本国憲法を全く無視するものだ、と言わざるを得ません。日本国憲法の三本柱である「平和主義」、「国民主権」「基本的人権の尊重」は、天皇が主権を有し大元帥であると規定した明治憲法下で行なった戦争が、国家の独立また国民の基本的人権を守るどころか、国民ばかりかアジア諸国民を皆殺しにするような惨劇でしかなかった、という深い悔い改めの心から生じたものではないでしょうか。
ですから靖国公式参拝を続ける国会議員を選挙で選び、さらに彼らに後押しされる内閣総理大臣の指名を容認し続けるとすれば、それは国民が「靖国神社公式参拝」を是とし、その靖国神社を精神的な支柱として行なった侵略戦争をも是と認めることを意味します。 
突き詰めれば首相の「靖国神社公式参拝」の継続を許すことは、日本が行なった侵略戦争の戦争罪責を否定することになり、新たな戦争への備えをも許すことになるでしょう。国の代表者が公式参拝を続けるならば、靖国神社は過去の戦争だけではなく未来の戦争のための「靖国」としてなお存在し続けていくのです。
そして小泉首相の公式参拝に対しても全国六カ所で、既に七件の訴訟が行なわれています。小泉首相の参拝を「総理大臣としての参拝」と認めた大阪地裁(二〇〇四年二月二七日)や「職務行為に該当する」とした千葉地裁(二〇〇四年十一月二五日)がありますが、概して憲法判断を避けた判決が多いのに対し、福岡地裁は違憲であるとの明確な判決を下さしました(二〇〇四年四月七日)。
違憲の判決に臨むにあたり亀川清裁判長は、判決後の右翼からの攻撃などを予想し遺書を書いていたと言います。
福岡地裁の判決は、原告の損害賠償請求を斥けた上で、「違憲性」を判断した点を以下のように述べています。
「靖国神社に関しては、数十年前から合憲性が取りざたされ、歴代の内閣総理大臣も慎重な検討を重ねてきた。中曽根康弘元首相の参拝時の訴訟では大阪高裁は、憲法違反の疑いを指摘、常に国民的議論が必要だと認識されてきた。
小泉首相の参拝は、合憲性について十分な議論がないまま行なわれ、その後も繰り返された。
今回、裁判所が違憲性の判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高く、当裁判所は違憲性の判断を責務と考えて判示した。」
福岡地裁判決当日、小泉首相はこの判決について「理解できない」「わかりません」を繰り返し、内閣総理大臣である限り靖国の参拝を続行する、を明言していますが、この福岡地裁の違憲判決は、その後確定しました。

ところが戦後六〇年(二〇〇五年)の夏を迎え、六〇回目の終戦記念日を目前にした七月二六日、小泉首相の靖国神社参拝が「憲法の定める政教分離原則に反する」として、国と首相と靖国神社とを相手に訴えた訴訟で、大阪高裁は「原告らが侵害されたと主張する権利は、法律上保護すべきものと認められない」として退けられた一審の大阪地裁の判決を支持し、今回も違憲の判断をせず、原告らの控訴を棄却しました。
大出裁判長は、原告らが侵害されたとする「戦没者をどのように回顧し祭祀するか、しないかに関して自ら決定し、行なう権利ないし利益」を検討した上で、「侵害された利益がない以上、法律関係の確認を求めることはできない」と判断し、全ての請求を退けた大阪地裁の一審判決を支持しました。
この大阪高裁の原告は、韓国に住む百十七人の戦没者遺族たちも含めた三百三十八人で、旧日本軍の軍人・軍属の遺族や宗教家たちですが、原告団長の菅原龍憲さんは、靖国神社に出向くこと九回、南の島で餓死した父の合祀の取り下げを要請したが断られた方で、次のようにコメントしています。
「父は南の島で見捨てられた。なのに小泉首相は謝罪もせず参拝について『戦没者に敬意と感謝を表する』と話す。その欺瞞は許せない。戦後六〇年の節目の年に、判決は憲法判断から逃げた。」
またソウル在住で、父親が日本軍属として中国に動員され戦死した韓国人遺族のひとりは、五〇年以上たって父親が靖国神社に合祀されたことを知らされたそうで、日本の軍国主義の象徴である神社に祀られていることに怒りを表明し、「判決がどれほど不当なものか、全世界に知らせて」ほしいと訴えたといいます。
この判決に勢いを得て、節目となる戦後六〇年の夏に小泉首相が靖国公式参拝を強行するのではないか、と危惧せざるを得ません。  
さて「靖国問題」が戦争罪責問題と密接に関わるが故に起こされた訴えには以下のものがあります。
①一九七七年夏、靖国神社が台湾出身の軍人・軍属戦没者二万七八〇〇人の合祀通知書を遺族に配布しようとしましたが、靖国神社の意に反し、一九七八年二月に、合祀通知書のことを知った在日台湾人が合祀取り下げを訴えて次のように述べました。
「赤紙(召集令状)一枚で日本の戦争にかり出されて死んだ同胞に補償もせず、白紙(合祀通知書)一枚で処理されるなんてとんでもない」
一九七九年には台湾の「高砂族」遺族の代表七名が来日し靖国神社に合祀取り下げを求めたが、靖国神社側は以下のような理由でこれを拒否しました。
「戦死した時点では日本人だったのだから、死後日本人でなくなることはありえない。日本の兵隊として、死んだら靖国にまつってもらうんだという気持ちで戦って死んだのだから、遺族の申し出で取り下げるわけにはいかない。内地人と同じように戦いに参加してもらった以上、靖国にまつるのは当然だ。台湾でも大部分の遺族は合祀に感謝している」(池田良八権宮司談)
②二〇〇一年六月、「合祀絶止」を求めて韓国の遺族五十五人が東京地裁に訴訟を起こしました。その訴状では、自国に対する侵略と植民地支配の首謀者(A級戦犯)や積極参加者(軍人・軍属)とともに侵略した日本の「護国の英霊」として親族が祀られていることは耐え難い屈辱だと述べています。植民地(大東亜共栄圏)の皇民として強制的に戦争に動員して戦後になっても長く遺骨の返還も戦死通知もなく遺族の合意もないままに一方的に自分の母国を侵略した「軍神」を祀る靖国神社に合祀される屈辱を全く理解することなく、
合祀と取り下げの要求を拒否し、植民地支配の被害者とその加害者を全く一緒に「祭神」として祀るのが靖国神社なのです。
③小泉首相の靖国公式参拝に対し旧日本軍の兵士として太平洋戦争で戦死した台湾人らの遺族二百三十六人が損害賠償等を求めた裁判で大阪地裁がこの請求を棄却しました(二〇〇四年五月十三日)。

④一九八八年六月一日、最高裁判所は十四対一という大差で十五年に及ぶ護国神社合祀取り下げ訴訟を棄却しました。靖国神社と同じ目的を持つ山口県の護国神社への夫中谷孝文の合祀の取り下げを求めたクリスチャン中谷康子原告の訴訟は、一審二審の勝訴が一転して逆転敗訴となったのです。訴訟が起こされたのは次のような経緯からでした。一九六八年に盛岡で職務中に交通事故死した自衛隊員中谷孝文を、護国神社に合祀した通知を神社側から受け取り、その後、山口県の自衛隊地方連絡部と隊友会支部連合会を相手に訴訟を起こしたのです。告訴の理由は、宗教と国家の分離を定めた憲法の違反とクリスチャンである彼女の宗教的侵害でした。
靖国問題を戦争罪責問題とするときに、以下のような取り組みが考えられます。
❶公式参拝する国会議員やそれを支持する政党に選挙で投票しない
❷靖国神社や護国神社への合祀を拒否する
❸靖国神社問題を教会内外で学ぶ
❹取り分け靖国神社に合祀されている旧植民地戦死者の遺族たちの痛みを理解し、彼らと交流する
❺これまで述べてきたように戦争罪責問題として靖国問題の問題性を教会内外や自分の周囲の人々に伝える
❻内閣総理大臣、国務大臣、及び国会議員の靖国公式参拝を違憲として監視し、訴訟を起こす
❼合祀取り下げ訴訟に協力する
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# by gakuza1994 | 2007-09-27 22:52 | 学座通信巻頭言2

平和授業の感想

❒「平和授業」の感想❒
◆昨冬に北海道七飯町(現在北斗市)で、OMF宣教師の子弟教育の旧施設を用いてキリスト教主義教育に行なっておられるチーフー自由学園をお訪ねして礼拝と特別授業(戦争と平和をテーマにして)で、お話しさせていただきました。小学生から高校生までの一〇名余りと先生方が熱心に耳を傾けてくださいました。
◇その折に生徒の方々がお寄せくださった感想文をご紹介するのを忘れていました。私の授業の様子だけでなく、十代の「戦争と平和」への思い知るために、良い助けになるかと思います。是非、ご一読ください。三時間という長時間、私の話に熱心に傾聴して下さったチーフー自由学園の生徒の方々と先生方に、心から感謝致します。
◇授業に参加し、また生徒たちの感想文をお送り下さったチーフー自由学園のS先生のお手紙も併せて紹介いたします。
◆今回、正田先生がこのチーフー学園に来てメッセージして下さったことを感謝します。特に私の心に残ったことは、「海兵隊」のことです。人を殺すことが当たり前と思わされ、沖縄で訓練して、きっと神様は泣いていたと思います。また海兵隊の一員として働いた人は、一体どんな思いでいたのか、マインドコントロールにあっていたのかなとも、ふと自分の心の中で思いました。
私は正田先生の話を聞いて、人を殺すことも決して良くないことだけど、自分を殺すことも決して良いことではないことに、正田先生を通して神様に気づかされました。
私の兄は海上自衛隊です。でも兄は戦うよりも人を助ける仕事がしたいということで、海保安庁に行く予定です。私はそのことがとても嬉しかったです。自分の命を犠牲にしてまで人を助ける、そのことが海上保安庁の任務だからです。
私が今できることと言ったら、まず決して人を憎まないこと。そして戦争が二度と起こらない様に、そして世界の人々が人を殺したいという思いにならない様、神様にお祈りすることです。  I・Y
◆正田先生の第一印象は、正直に言うと(この先生はどこの国の人なんだろう)ということです。ごめんなさい、正田先生。
聖書の授業なのに、日本の歴史の話がほとんどだったので、始めのうちはびっくりしました。でも、だんだんと話に引きこまれていきました。前に戦争のことを書いた小説を何冊も読んだのに、最近はその内容を思い出そうとしていなかった自分に気が付きました。テレビのニュースは、人事でしかなくて、「自分とは関係ない遠い国の話だ」と、それがどういうことなのか、心で感じることがなくなっていました。
アメリカの「ゼロオプション」の話にはとても話にはとてもおどろきました。自分達が死ななければ、「敵」はいくら殺してもいいと、そんなたてまえを平気で言い、支持している人もいるとは信じられません。前に、アメリカの戦争を応援しているプロテスタントの教会があると聞いて、とてもショックを受けたことがあります。確かに聖書には「正義」や「悪」などのそれっぽくて格好いいひびきの言葉が出てきますが、意味を少し勘違いして受け取っているんじゃないかと思いました。
他人のことを考えるのは、難しそうに見えて簡単で、それでもやっぱりすごく難しです。自分に出来ることはあるのかと考えたら、驚くくらい何も出来ないだろうけど、この授業を受けたのと受けていないのとでは、きっと何かが違っていると思います。だれかに教えてもらうのを待つだけじゃなく、自分から知りたいものを見つけて調べるようにしたいと思いました。
O・Y
※ゼロオプション
◆正田先生の特別授業を受けて、感じたこと、思ったこと、考えさせたれたことなどがたくさんありました。
正田先生が絵本を読んでくれて、その読み方が、心のこもったやさしい読み方なのに、なぜだかわからないけど力強くて、勢いのある読み方でした。絵本の中にも絵だけの本があって、初めは少しの争いなのにドンドンその争いが大きくなっていってしまって、最後には何も残らないという絵で、人間ってみんなこんな争いの心があるんだなぁと思いました。
それが、戦争という国どうしの大きなことじゃなくても、自分とだれかという関係としてもあることだなぁ、とかって思いました。
人の心も体も傷つけてしまうし、自分自身も傷つけるし、まわりの人も傷つけられてしまう「争い」というのは、いつになったら、どうしたらなくなるのかを祈って考えたいです。
 ほかには、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』という本の話で、人を傷つけることや、殺すということなどは、どんなに訓練したって何も感じない人や、思わない人なんていないよ!ってわかりました。今でも戦争の話があるけれど、その人たちも心の中で何か感じてるんだろうなぁ、と思います。
 日本も戦争でだくさんひどいことをしてきたって聞いて、自分は実際には体験していないけど、イヤだなぁって気になりました。
 戦争なんてヒドイよ~!!!!
みんな神を知って信じたら、絶対みんな安心して平和な暮らしができるから、世界中の人が神様を知れるために、自分も伝えたいし、神様のために働くぞぉー!
O・Y

◆昨日、正田先生が来て平和について、二時間話してくれました。ユニークな話し方だったので、朝のメッセージも入れれば三時間ビッシリだったのに集中して聞く事ができました。
 私の中で一番印象的だったのは、正田先生が二冊目に読んでくださった本で、題名は忘れたけれど、戦争はささいな事から、大きくなって、終いには全てを滅ぼしてしまうという内容のものでした。
 自分の国の利益のためだけに、沢山の人が殺されてしまう戦争は、もう決してしてはいけない事だと思いました。
 元海兵隊で百人以上の人を殺してしまったネルソンさんの話しを聞いて、戦争の中で人を殺した人も、深く心に傷を受ける事を知りました。
 今回正田先生の話しを聞いて、戦争の無意味さ、恐ろしさ、悲しさが解りました。
 これから自分に何ができるかはわからないケド、もう戦争が起きないように、今やっている戦争が早く終わるように願いたいです。
O・A
◆正田先生は初め見た時は、真面目そうに見えたけど、話し出したらスゴク面白い人でした。絵本の中に入り込んで、その人物になりきって読んでくれたから、色々と伝わってきたし、いつもと違った感じで楽しく聞けました。
 あと、字のない絵本から、戦争は本当にちっぽけな事から始まって、沢山の死者を出してしまう、バカで恐ろしくて、やってはいけない事だと改めて思いました。
 新しく知った事は、沖縄とかで海兵隊は人を殺すのを仕事としてて、洗脳されて人を殺したくさせると聞いてスゴくショックでした。こんな事はあっちゃいけないと思いました。戦争をした事でよい結果なんて出るわけないし、悲しい事しか残らないのに、どうして戦争して、いつまでたっても無くならないのか不思議です。どうすれば無くなるのか分からないけど、もっと一人一人が戦争の酷さを知って、二度としちゃいけない事と認識していく事が大切だと思います。
 あと、それぞれの国や人は、考えも感じ方も違うから、自分の国が正しくて、あっちの国が悪いってするんじゃなくて、もっと外の周りの事も知って考えるのも大切だと知りました。   Y・M
◆先日は、チーフー自由学園においで下さり、礼拝と特別授業をどうもありがとうございます。
冬休みが終わり、三学期が始まったばかりでしたので、生徒も先生方も休みボケのような感じでしたが、正田先生のお話に、思わず引き込まれ、あっという間に時間がたっていました。
礼拝の中で、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書四三章三節)のあなたというのは、イエス様を信じ、イエス様に従っていこうとする人、そのように祈る人のことである、ということにハッとさせられました。
小四のK君は、お母さんも同じ病気で、二人暮しです。お母さんが(クリスチャンですが、なったばかりのころ)「この聖句でいつもつまずく、どうしてもそう思えない」と話していたのを思い出したからです。神様が人を神様に似せて造り、そのように生かして下さっているのだからこそ高価で尊いのだ。自分が神様のものとわかる時、そして自分のいっさいをゆだねられた時、この聖句が、御言葉として実感できるのでしょう。
この聖句の深い意味なしに安易に言えないような気がしました。K君のお母さんとそのうち話す機会が与えられたらと思っています。
 絵本の大切さを感じています。
公立学校の国語の教科書にも、心や平和の大切さ、戦争の愚かさや悲しさを伝えるものはありますが、まだまだ少ないですし、切り口も充分でないと思います。生徒たちも家庭や学校にいる間は、なかなか、戦争の悲惨さや殺し合うことの悲しさが実感できないだろうと思いますが、それだからこそ、もっともっと他の本や絵本を活用したいと思いました。チャーチスクールならではの学びができると思いますので、・・・・。
そうして、人の命の大切さをしっかりと胸にとめ、クリスチャンとして日本あり方、世界のあり方を正しくとらえ、間違いをNOと言える人間に育って欲しいと願っています。私にとってもチャーチスクールの学びの内容を見直す良い機会となりました。どうもありがとうございました。
中高生に感想文を書かせましたので同封します。・・・(中略)・・・
最後になりましたが、正田先生の働きがますます神様から祝福されますようお祈りしています。
私事ですが、高校教師の主人によりますと、先生方の中にも、「憲法改正をよし」とする人がいるそうで、本当に憂えています。
お忙しいこととは思いますが、時節がら風邪など召しませんようご自愛ください。またいつか来て下さることを願いつつ・・・。
          S・Y
 正田眞次先生
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# by gakuza1994 | 2007-09-27 22:44 | 特集3

祖国の歴史を直視して(2):村岡崇光

祖国の歴史を直視して:
日木人キリスト者学徒の旅
村岡崇光
2005:10:11
TrinityTheo10gica1Co11ege,Singapore


一九八五年五月八日、ドイツ敗戦四〇周年にあたって西ドイツ連邦議会でリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領が行った余りにも有名なその演説の中で彼は言っています。「今日のドイツ市民の大多数は戦時中子供であったか、あるいはまだ生まれてすらいませんでした。彼らは、自分が犯さなかった罪の告白をすることは出来ません。ドイツ人であるというだけで、粗布をまとい、灰に座して懺悔せよ、というのは、多少とも人間的感受性のある人なら不等な要求と看做すでしょう」
私もそう思います。敗戦の時私は七歳でした。たとえ私が出征兵士に小旗を振って見送ったとしても、それをもって私が侵略戦争に加担したと責めるのは酷に過ぎはしないでしょうか。
罪を認めることと罪を告白することの間にはきわどい、しかし重要な違いがあります。しかし、元ドイツ大統領はさらに言葉を続けます。「我々の先祖たちはとてつもない遺産をわれわれに残してくれました。有罪無罪を問わず、老若を問わず、私達ドイツ人はすべからくこの過去の歴史を受け止めなければなりません。
この遺産をどのように扱い、これにどのように対処していくかという点について私達は責任を負っているのです。過去に対して眼を閉ざす者は現在に対しても盲目になります。過去の非人道的歴史を心に刻むことを拒もうと欲する者は、またもや同じような病に感染する危険を冒すのです」。
この点においても、私は同感です。
ここで問題になっているのは、歴史と記億という重い、哲学的課題であります。当然のことかも知れませんが、この点について聖書は私達にいくつかのことを教えてくれます。聖書の神は形而上学的、思弁的、単に理論的な概念としては提示されていません。この神はアダムとイブの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神、ダビデとゾロモンの神、エズラとネヘミヤの神、エリコの娼婦ラハブの神でありました(過去形です!)。 
神はこういった歴史上の人物、生身の人間とかかわられ、歴史を通して自らを啓示されました。ラハブの場合から、異教徒すら聖書の神をそのように理解するに至ったことを知ります。ネブカデネザル、ベルシャザルもそうでした。そして、最後には、神は肉となって我々の間に住まわれ、ダマスコ途上のサウロに自らを啓示されました。私達人間はだれしも歴史的存在であり、自らの意志によって生まれてきたのではなく、過去なくして現在も未来もありません。
しばらく前にキリスト教関係の月刊誌で読んだ記事に、日本ではよく知られた牧師先生が、先に触れました泰緬鉄道犠牲者追悼の碑のことに言及し、犠牲者の名前の下に「我々はあなたがたを許すが、決して忘れはしない」と刻まれているそうだが、忘れて下さる神をもっている私達はなんと幸いなことであろう、として詩篇一〇三篇九節をあげておられます。
聖句は「神はとこしえに怒りをいだかれない」(口語訳)となっており、神が私達の罪を忘れられる、とは書いてありません。
でも、私達の信ずる神が私達の犯した罪を忘れなさる方なのかどうかは、大事な事柄なので、もう少し調べてみることにしました。ヘブライ語には「忘れる」と訳して良い動詞が二つあり、そのうちの一つ、旧約聖書に七回しか出て来ない「ナーシャー」はここでは一応度外視して、合計一〇二回も頻出する他方の「シャーハッハ」の方をみますと、いくつか面白いことがでてきます。「忘れるな」という禁止形は何度か出てくるのに、「忘れよ」という命令形はただの一回しか使われていません。詩四五篇十一節ですが、ここは、忘れてもらわないと困る、という状況であることはその箇所にあたっていただければすぐ分かります。
日本人の妻が、いつまでたっても何千キロも海の彼方に残してきた母のことをめそめそ言っていたらシンガポール人のご主人は面白くないことでしょう。
これとは対照的に、「記憶する」という頻繁に出てくる動詞「サーハル」は命令形が四七回も用いられており、「記億するな」という否定命令は「いつまでも替を記憶しないで下さい」(イザヤ六四章八節)のように、神への歎願になっています。
さらに、「忘れる」というこの動詞は、「いまちょっと思い出せない」、記憶一時喪失、失念を意味するのでなく、意図的、意識的に忘れる、記億から抹殺し、無視する、という意味です。
「東が西から遠いように、主はわれらの咎をわれらから遠ざけられる」(詩一〇三篇十二節)
「あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ」(ミカ七章十九節)
「これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後ろに捨てられたからである」(イザヤ三八章十七節)などのいずれの箇所でも、神は私達の罪替を人目に容易につかないところに移された、と言っているだけで、罪の記録が永遠に消滅したというのではありません。
否、それどころか、神御自身が、私達の罪を決して忘れない、と明言しておられます。「主はヤコブの誇りをさして誓われた一『わたしは彼等の一切の業を永久に忘れはしない』」(アモス八章七節)。
聖書をみますと、いたるところで、神はその民に過去の自分達の、あるいは先祖の罪を思い出させておられます。
たとえば、捕囚の地にあったイスラエルの指導者達が預言者エゼキエルに現状打開について神にお伺いをたててくれるよう頼みに来た時、神はこれに応ずることを拒まれ(エゼキエル二〇章一~三節)、そのかわり、彼等に先祖達の罪の足跡を思い起こさせるよう、そしてかれらがその過去の歴史から学ばず、今なお前者の轍を踏み続けていることを指摘するようエゼキエルに命ぜられました(三〇節)。
聖書で「罪」とか「咎」と訳されている単語はいくつかありますが、主の祈りにも出てくるその一つは「借金」をも意味します。私達の借用書には棒が斜に引いてあるかもしれませんが、修正液で白く塗りつぶしてはなく、破り捨てられ、焼き捨てられたのでもなく、金庫に錠をしてしまってあるのです。歴史が消減することはありません。歴史が蒸発して雲の彼方に消えることはありません。
罪が許されるということと、それが忘れられ、その記録が抹殺されるということはまったく別なことです。
頭韻をふんだForgive and forget(「許しなさい、忘れなさい」)という英語の表現は聖書の教えではありません。そう思うことは信仰の甘えです。この許しを可能ならしめるために十字架上に死なれた主の死を陳腐なものにすることです。「きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血」(第一ペテロ一章十九節)をそんなに安価なものにおとしめていいのでしょうか。
過去のつらい体験、失策、暗い過去は背後に押しやりたい、忘れたいというのは人情です。職業軍人を父にもつ者として、太平洋戦争を批判的に人前で語ることは私にとっても楽ではありません。
自分の夫は、兄弟は、息子は、孫は無意味な、倫理的に正当化できない戦争で戦死したのだ、と認めることは遺族にとってはどんなにか厳しく、辛いことでしょう。しかし、人格と行為とを混同しない勇気を学ばない限り、戦死者は靖国に英霊として祀られているかのように錯覚し、あの戦争を美化し、いつか来た道をまた歩み出すことになるのです。
歴史は、たとえどんなに辛い歴史でも記億に刻み付けられる必要があります。それは、加害者のみならず、被害者にも妥当します。
皆様の中にはアムステルダムにあるアンネ・フランク記念館を訪ねた方もあることでしょう。何年か前に私が行った時、入り口の受付のそばの掲示板にボスニアでの戦争の記事の切り抜きが貼付けてあり、そのわきに「我々はいつになったら歴史から学べるのだろう」と走り書きしてありました。
最近出版されたメリッサ・ミュラー著のアンネ・フランクの伝記の序文に「第二次大戦終結以来地球上のどこかで戦争がなかったのはたったの四日である」と、あります。この問題にどのように対処していくべきかについては、キリスト者の立場から、私達は、聖書がもっともすぐれた道を示していると信じますが、キリスト者でなければどうにもならない、というものではありません。 
たとえば、私達の政治的指導者達が、今日のような姿勢を改めるにはまずキリスト教に改宗してもらわなければならない、というわけではありません。ここで間題になっているのは、人間の尊厳と正義にかかわる普遍的な原則、平和と共生に対するだれしもが抱いている普遍的な希求だからです。
さて、先程引用しましたヴァイツゼッカーの発言に戻りますが、私のように実質的に戦後世代の日本人の立場はどうなのでしょうか?
先ず第一に、私は、前世紀の前半に私の祖国はありとあらゆる、渕り知れない程の被害、損失、破壊、苦難をもたらしたことを率直に認めます。被害者は連合国軍の捕虜ならびに民間人に限らず、われわれはもっと深刻な被害をアジア並びに大平洋諾島の人々に加えました。これについては一切の言い訳は致しません。無数の犠牲者とその親族、友人の方々に対しては遅ればせながらただ深甚の哀悼の念を表明するしかありません。
第二に、祖国が、戦後の歴代の指導者達が、また国民の大多数が今日なお日本の現代史を誠実に直視することを怠り、拒んでいることに対して私は非常な憂慮と危倶の念を抱いております。わたくしたちにとっては、あれから六〇年、戦争はまだ終結していないのです。この状況に対して私は責任がある、と考え表す。手を洪いて無為に過ごすことは致しません。ただ口先だけでなく、行動をもってこれに対処していきます。
私は、罪償と和解財団というオランダの団体の幹部の方々を何人か識っています。この財団は、キリスト教の名の下にオランダ人キリスト者が過去にとった行動がもとで壊れた関係を修復しようと、ユダヤ人、イスラム教徒、旧植民地国の人々たちの間で具体的な行動を続けています。
財団の名称が、単に和解だけでなく、罪償を加えていること、そしてそれが和解のさきに来ていることは示唆に富むと私は思います。
私も何かしなければならないと思うのですが、でもどこから手をつけたらよいのでしょうか。
私は二〇〇三年の二月に六五歳となり、ライテン大学を定年退職しました。定年制のない米国に移ったら、と知人に勧められても、あまり気乗りがしませんでした。退職後の人生をどのように過ごすべきか、妻とともにかなり長いこと考え、祈り求めましたが、行き着いた結論は、少なくとも私はこれまでの聖書語学ならびに聖書古代語訳の研究を続けるべきだ、ということでした。これまでのように講義や事務に時間をとられないので血が沸きたぎるのを覚えました。
それで別に収入がこれといって増えるわけでもありませんし、研究三昧と云えば聞こえはいいですが、それではどうも学者の白己満足のように思え、このようにして与えられた時間も神様からの贈り物ではないか、十分の一献金をするのなら、時間も十分の一神様にお返しすべきではないか、と示されました。
具体的には、私の場合、自分の専門分野の知識と興味とを、かつて日本軍国主義、太平洋戦争と云う名の侵略戦争の犠牲になったアジアの諸国の同僚の学者や若い学生たちと分かち合うために、心身健康である限り、毎年五週間ほどボランティアとして、つまり無報酬で向こうの大学や神学校で教えさせてもらうのが、もっとも相応しい形ではないか、と示されて、私と同じくエルサレムのヘブライ大学で学位を取って、いま韓国聖書協会総主事の要職にあられる閔(ミン)先生に私の趣旨をお伝えし、先生御自身が賛同して下さるのだったらソウル市内の学校に連絡を取ってお膳立てしていただけないだろうか、とお願いしました。感謝なことに閔先生は同意して下さってアジアの最初の国として二〇〇三年に韓国訪問が実現しました。
昨年はインドネシアに赴きました。そして今年はこのようにしてシンガポールヘ参ったわけであります。来年は香港行きが決まっております。シンガポールTTCにおかれましては、ここで教鞭を取らせていただきたいという私のたっての願いを温かく受け止めて下さいました。 
今週で四週目に入りました。七人の受講者は六つの国の出身者ですが、そのうちの四人にとっては、私は彼らの祖国のかつての仇敵になります。にもかかわらす、友情、互いに対する敬意、和気あいあいたる空気の中でこれまで学びが続けられてきたことに私は頭が下がります。
オランダで開催されている日蘭対話の集会、そしてわたくしたちのアジア諸国への旅は一切個人的な発意によるもの、草の根的活動であります。前者は在オランダ日本大使館の補助は受けていません。もっとも毎回大使館には通知を出し、大使館員の参加を得たこともありました。アジア旅行に対しては東京の外務省あるいは他のいかなる政府機関から一銭も戴いておりません。そういう援助を申請したことはありませんし、今後もそのつもりはありません。
政府が自ら果たすべき責務をこっそりと一般市民に転.嫁、委託すべきではない、と私は思います。
それにしましても、私達の受入先のアジアの教育機関、先生方からの、私達の分には余るおもてなしにはすっかり恐縮しております。
TCCは無料の部屋、食事、その他いろいろな便宜をはかって下さっております。ゆったりした、冷房のよくきいた部屋がなかったらどうして仕事ができるだろうか、といつも思います。おかげで、部屋の窓は日夜閉め切って、命取りになるかも知れない、あまり有り難くない可愛いらしい昆虫の闖入を防止することが出来ます。さもないと、主は私を時期尚早に天にお召しになるかも知れません。「主
よ、どうしてTCCでの仕事を最後までやらせて下さらなかったのですか」と、苦情を言うのは気がすすみません。
でも、この任務はとてつもない任務であるように思うことがあります。自分の手にはとても負えない、と。集中講議のことではなく、祖国の現代史の負の責務のことです。日本の実に多数の人々がそういう問題のあることすら気付かず、あるいはそれを問題と受け取らず、これを歪曲したり、記録から抹消しようとすらしています。
しかし、イエス様が五千人以上の人の食事を供されたあの奇跡物語りは私にとっては大きな慰めと励ましであります。たったの五個のパンと二匹の魚というまことにささやかな、つつましやかな捧げ物ではありましたが、喜んで、信仰をもって弟子達が差し出したその捧げ物を主は豊かに祝福し、何百倍、何千倍にもされました。
しばらくまえに、「変化を求めて」(Initiatives of Change)という国際団体のオランダ支部の会合で、「一人の人間に民族間の和解のためになにができるか」という題で話をしたことがありますが、「一人の人間でも民族間の和解のためになにをすべきか」という題のほうがよかったのかもしれません。
二年前の韓国の神学校での最後の日に、二五〇〇人の職員、学生の列席した神学校のチャベルで話をする機会を与えられました。英語で話すこともできたのですが、日本語で話すよう頼まれ、日本人の留学生が通訳してくれました。壇上には一方に通訳と私と二人掛け、他方に、私のホスト役の旧約学の姜(カン)教授と聖書朗読をされた姜女史が並んで掛けられ、日本人と韓国人とが、義と愛の神、告白する者の罪を許して下さるイエス・キリストを真中にしての礼拝として意識的に設定されていることが一目瞭然でした。
韓国訪間に至った経過や動機を語り、オランダ出発の前日にもらった誕生日カードのことを話しました。
出発の前日がたまたま私の誕生日で、近所のオランダ人の友入からカードを貰いましたが、表には黄色く熟れた麦畑の絵が描いてあり、内側に友人が「これまで君はせっせと種を播いて来たけど、六五歳というと、そろそろ刈り入れの時じゃないのだろうか」と書き添えていました。
その日曜のアムステルフェーンでの日本人教会の礼拝の席上、韓国人の牧師、パーク先生もいらっしゃるところで、このカードのことを披露し、「私達は韓国に観光に行くのではなく、前世紀の前半に私達の先輩達が韓国で播いた種の収穫に行って参ります」と、挨拶しました。
帰宅の車の中で、それだけではない、私達は新しい種類の種を播きに行くのではないか、とも思えて来ました。
そして、韓国の神学校の方々に次のように付言しました。「妻と私はこれまで、私達の先輩達が播いた種を刈り取る仕事と同時に、新しい種類の種を韓国の兄弟姉妹達と基に播いて来たのではないか、と思えてなりません。もし将来、韓国再訪が許されたならば、涙して共に播いたこの種を喜びをもって共に刈り取りたいものです」と云い足しました。
その時に云ったことでもありますが、植民地時代ならば、韓国人のキリスト者の集会に出てくる唯一の日本人は特高か憲兵か警官であったでしょうから、この礼拝は忘れがたい印象を私達の心に深く刻みました。
私共はすでに海外生活四一年を越えました。もうオランダ国籍を取得したか、と尋ねられることがあります。暫く前までは、「汝の父母を敬うべし」という十戒の第五戒を等閑にしてきた来た手前、親が存命中は出来ません、と答えていたのです。
妹は三人いるのですが、男児は私一人です。保守的な日本の田舎でこれが何を意味するかはお分かりいただけるでしょう。
しかし、いまは別な理由があります。祖国日本が、その国民の象徴をも含む指導者達が、また国民の大多数が私達の過去の負の遺産を誠実に正視することを学び、その決意を具体的な行動に還元していくまでは日本人であり続ける党悟です。
皆さん、私が生きている間に、今日のような会合で、私が日本の旅券を取り出して、誇りをもって振りかざせる日が来るように、私とともに、私のために、私の民族のために祈って下さるようお願い致します。

※ 祖国の歴史を直視して:(日木人キリスト者学徒の旅)を,許可なく複写利用しないで下さい。
※ ご利用を希望される方は,「学座・とうごまの葉の下」または,村岡崇光氏までご一報下さい。

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# by gakuza1994 | 2007-09-27 22:30 | 特集2

本読みのひろば1

戦争できるように教育基本法が「改正」され,改憲手続法と言える国民投票法も成立して,新しい憲法を制定するための準備が進められようとしている今,この問題を分かりやすく学び,考え,祈り,そして行動するために参考となる本を紹介します。

◆『平和つくりの道』◆いのちのことば社◆ロナルド・J・サイダー
「ヒロシマとナガサキを壊滅させたのが,何百万というアメリカのキリスト者に支えられたアメリカの軍隊であった・・・赦しを乞うほかない」という日本の読者への序文で述べた著者の告白は,本書に貫かれたキリスト教会の悔い改めと平和への自らの熱き願いの発露である。
著者は世界福音同盟(WEF)神学委員会の倫理・社会部会委員長を歴任。ローザンヌ誓約(1974年)の作成に貢献した。三〇年以上,社会行動のための福音主義連盟(ESA)の責任者として社会正義と平和の発言と行動を牽引する福音派を代表する神学者,また経済的シンプルライフの実践者である。
著者は,キリスト者がイエスの苦難しもべの生き方に倣い聖霊の力により敵を愛するようにと訴え,不買運動,市民的不服従,戦争税拒否,平和部隊等,非暴力の具体的活動や平和をつくるシンプルライフを提唱する。
平和つくりには戦争と同じくらいの犠牲を伴う,と著者は言う。果して我々は,その犠牲を払えるほどにイエスを信じているだろうか。

◆『闇に輝くともしびを継いで~宣教師となった元日本軍捕虜の76年~』◆フォレストブックス
◆スティーブン・メティカフ
 あの「炎のランナー」(パリ・オリンピック400メートル金メダリスト)であるエリック・リデル(中国への宣教師)と日本軍捕虜収容所で生活を共にした著者メティカフ少年は,「あなたの敵を愛し,迫害する者のために祈りなさい」のイエスのことばに躊躇した。なぜならば彼らにとっての敵である日本兵の中国人への残酷な仕打ちを見ていたからだ。しかしリデルの「きみたちも日本人のために祈ってごらん。人を憎むとき,きみたちは自分中心の人間になる。でも祈るとき,きみたちは神中心の人間になる。神が愛する人を憎むことはできない。祈りはきみたちの姿勢を変えるんだ」のことばに励まされ,著者は日本兵のために祈り始めたのだ、その祈りは,戦後,OMF宣教師として38年間日本で伝道する生涯へと著者を導いた。その間,市民団体の平和集会でも「キリストにある平和」を語り続けた著者の半生の物語である。

◆『よみがえれ,平和よ!~差別と戦争と貧困の中から~』◆信教出版社◆ジム・ウォーリス(小中陽太郎監訳)
 アメリカの伝統的な福音信仰に立つ両親が牧する教会に育った著者は,聖書と両親から学んだ教えにより公民権運動さらにベトナム反戦・平和運動へと身を投じる。両親は多くのクリスチャンと同じく人種差別やベトナム戦争には沈黙し,反対行動を起こすこともなく,差別と戦争を黙認して結果的には賛成している白人クリスチャン社会の現実を,著者はやがて知るようになる。過激な左翼思想の大学教授が息子に影響を与えたに違いないと決め込む両親に対して,著者は真実を明かした。
 「ぼくに他者のことやその苦しみについて思いやることを教えてくれたのはあなた方ではありませんか。正直や誠実の大切さをぼくに教えたのは誰でしたか。困難な問題や疑問に対しても真正面から向かっていくことを教えてくれたのは誰ですか。ぼくが正しいと信じたことについては,たとえ誰が反対しようとも動かされてはいけないと教えてくれたのは誰でしたか。」と訴えて,自らの社会的・政治的活動が両親が信じ教えてくれた福音信仰に根差していることを説明している。
 監訳者は,訳者あとがきで「福音主義的なキリスト信仰を通して社会的責任を強く自覚するに至るみちと,反対に社会的運動からキリスト教の平和思想を獲得するに至る方向という二つのベクトルの交叉」と述べているが,本書は,福音的な教会を一度は離れ社会・政治運動に身を投じた著者が,やがて回心し福音信仰に基づくキリスト者の良心の運動へと回帰した,著者自身の『天路歴程』と言ってよい。

◆『わたしたちの憲法』◆いのちのことば社◆西川重則
40年以上にわたって靖国神社国営化反対運動や,信教の自由のための活動を,福音主義の立場で展開してきた著者は,連日国会に足を運び可能な限り議会を傍聴し,まさに見張り人の役目を果してきたところの,この問題の福音派における第一人者である。
前文から第103条までの日本国憲法の全文を一条ずつ簡潔ながら論点を外さない解説は,さすがに長年の活動から滲み出たものと言える。若手編集者と対話を繰り返すことで出来上がった本なので,専門用語を避けることができない問題であるが,若者や憲法に親しむことの少なかった人にも理解してもらえる努力が随所にうかがえる。それも著者の,とりわけ平和憲法の改悪阻止を願う祈りの現われであろう。教会や小さな学習会での熟読をお奨めする。この本が多くの日本人に読まれることで,憲法改悪を阻止する世論が築かれることを祈ってやまない。

◆『ヒロシマ・ナガサキの思い,未来へ』◆いのちのことば社◆いのちのことば社編
広島と長崎のクリスチャン被爆者11名が,平和への思いを込めて語ったものを聞き書きしたものである。あの日には神を信じていなかったが,苦しみと矛盾の中で求道し,主イエスに出会った被爆者の話もあり,「戦争」と「平和」そして不条理な「苦しみ」を理解するためにも大きな助けとなる。
長年誰にも語らず語り得なかった証言もあるだろう。被爆60年を経過しても全く色あせることのない体験を風化させないために,大人にも子どもにも,クリスチャンには是非一読いただきたい。

◆『井上ひさしの 子どもにつたえる日本国憲法』◆講談社◆井上ひさし著/いわさきちひろ絵
◇「ひょっこりひょうたん島」の作者でもある劇作家らしく子どもにも分かるように日本国憲法の前文と第九条を井上ひさしのことばで表現する「絵本 憲法のこころ」と,小学生に話した「憲法って,つまりこういうこと」と題するお話◇「平和集会」で大人にも朗読したくなる宝石のようなことば
◆『憲法九条を世界遺産に』◆集英社新書◆太田光・中沢新一◆◇漫才師・爆笑問題の太田光と学者中沢新一(多摩美術大学教授)の数回の対談をまとめたもので数週間に及ぶベストセラー◇宮沢賢治の抱えた「平和に関する矛盾」から始めて決してお笑いではない真剣な議論を展開している◇急いで憲法九条を「改正」する前に,まず国民的な議論がもっと必要だと力説する太田光の次のことばが,この本を貫いていると言ってもいい。「日本人だけで作ったものではないからこそ価値があると思う。あのときやってきたアメリカのGHQと,あのときの日本の合作だから価値があると。・・(中略)・・その奇蹟の憲法を,自分の国の憲法は自分で作りましょうという程度の理由で,変えたくない」「日本国憲法の九条というのは,ひょっとしたら間違いを犯すかもしれない,そんな愚かな人間だからこそ守っていかなければならない世界遺産なんです」
◆『憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本』◆日本評論社◆高橋哲哉・斎藤貴男編著◆本のタイトルが,そのまま内容と目的を明示している◇巻頭の「絵(とグラフ)で見る憲法・戦争」で始まり,①「憲法?ソレがどう変わる?」木下智史(関西大学教授)②「井筒(和幸映画)監督の教えたるわ!歴史と憲法」③「憲法と現代戦争Q&A」山田朗(明治大学教授),森永卓郎(経済アナリスト),木下智史④「戦争する国と愛国心」高橋哲哉⑤「戦争への3点セット~監視・格差・個性の否定~」斎藤貴男(ジャーナリスト)⑤「ジャーナリストの見た憲法改正議論」豊秀一(朝日新聞記者)の5章からなる◇「はしがき」にある編者の次のことばが読者に強く訴える。「ふだんは遠く感じられても,私たちの日々の生活に大きな影響を及ぼしている日本国憲法。その憲法を変えるのか,変えないのか。それを決めるのは,私たち一人ひとりの意思である」

◆『憲法9条の思想水脈』◆朝日新聞社◆山室信一
「日本国憲法は,1945年から翌年にかけて突然に成立したものではなく,まして連合国軍総司令部(GHQ)が作り上げた草案を丸ごと押し付けられたものでは断じてなく,とりわけ憲法9条は,人類の長い歴史また思想の一つの終着点であり,多くの平和思想や戦争廃止論や軍備撤廃論,さらに平和会議や不戦条約という国際協力の積み重ねの結実である」ことを明らかにすることが本書の目的であろう。
著者は,憲法9条の構成と平和主義憲法の基軸を概説した後に,まず憲法9条の源流をさぐる作業として「国家と戦争,法と平和」に関する世界史を概観した上で,戦争放棄条項や平和構想の思想源流に詳述している。その後,幕末から現代に至る憲法9条の思想水脈と言える日本の思想家の戦争廃止論,平和思想や運動を実に幅広く紹介している。内村鑑三や安部磯雄はもちろん,田中正造,柏木義円,矢内原忠雄,賀川豊彦,さらには日本基督教婦人矯風会と深い関わりのある日本婦人平和協会の軍備撤廃論やこれらの活動や基督教平和協会の主導的役割を担ったガントレット恒子など,多くのクリスチャンにも言及している。明治期の自由民権運動の中で植木枝盛の私擬憲法案が,憲法学者鈴木安蔵を通じて,日本国憲法に多大な影響を与えた意義をも著者は見落としてはいない。
 
◆『憲法「押しつけ論」の幻』◆講談社現代新書◆小西豊治
戦前からの憲法学者鈴木安蔵を中心とする憲法研究会が1945年12月26日に首相官邸に提出した「憲法草案要綱」が,連合国軍総司令部(GHQ)草案に決定的な影響を与え,日本国憲法の骨格ともいえる「国民主権」「象徴天皇制」が条文に盛り込まれた経過を多くの資料を踏まえ明らかにしている。

◆『50年前の憲法大論争』◆講談社現代新書◆保阪正康
憲法改正論議の争点の常に中心であった憲法9条の「戦争放棄」と「戦力放棄」が,衆議院内閣委員会公聴会(第24回国会/1956年3月16日)の議事録に解説と資料を加えた本である。日本国憲法の三本柱の平和主義をめぐって改憲と護憲の両者の約6時間に及ぶ激論の内容は,いまだに新鮮であり,その論点が全く変わってはいないことを示す。中村哲,飛鳥田一雄,石橋政嗣などの論客も登場する。

◆『特攻隊と憲法九条』◆リヨン社◆田 英夫
日本が起こした15年戦争の時代に成長し,自らが海軍の特攻隊として訓練を受け敗戦を迎えた著者は,戦後,新聞記者,テレビニュースのキャスター,参議院議員の経験から,人間を武器とする特攻隊に象徴される戦争の愚かさ,核戦争時代の憲法九条の重要な意義,見えないかたちで進められていく戦争準備に対して監視の役割を担うジャーナリズムの責務などを力説して止まない。
戦争は,国民を動員するために政府が国民の知らないうちに周到に準備を進めて初めて起こされるものであることが,著者自身の少年時代からの経験と靖国神社を例にしながら説明されている。
ベトナム戦争時に,米国に偏りすぎているニュース報道に疑問を感じて,北ベトナムに入って制作した『ハノイ 田英夫の証言』を放送したことで政治からの圧力を受け,それが放送局自体への圧力に発展して,ニュースキャスターを解任された事実の当事者としての告白を聴き逃すことは断じてできない。

◆『憲法の力』◆集英社新書◆伊藤真
司法試験塾である「伊藤塾」を開設して以来,司法界に多くの人材を輩出してきた法律家であるとともに,憲法9条を守る市民運動の各地の集会で講演活動をしている著者は,日本の戦争と深く関わる地を訪ねて戦争被害者やその遺族からの証言を聞くことを,司法教育の土台に据えている。
本書は国民投票法が成立して改憲に向かう政治状況を概観しながら,国民投票法や改憲の潮流の問題点を略述し,憲法9条改憲賛成派の幾つもの論理とそれに対する反論を,より具体的に分かり易く,時には過去の資料や著名人の文章などを紹介しながら繰り広げている。「戦争放棄」を理想主義とするのに対して,憲法9条の「積極的非暴力平和主義」が現実主義であることを法律家の立場から論破しようと,当たり前のようなことからやや難しい論議に至るまで丁寧に説明している。
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# by gakuza1994 | 2007-09-27 16:00 | 本読みのひろば1

お知らせ

「福音主義キリスト者平和市民の会」
2008年総会のご案内

「福音主義キリスト者平和市民の会」の2008年総会を下記のように開きます。

日時:2月2日(土)午前10時~午後1時
場所:大阪聖パウロ教会(阪急梅田下車 茶屋町出口を東に出て北東へ5分)
内容:メッセージ(亀井俊博牧師・芦屋福音教会前牧師),平和読書朗読,総会議事など
★当日,自由献金を予定しています
質問などは,何でも遠慮なく正田までお尋ね下さい。


なお2月11日には,下記の3つの信教の自由を守る目的と平和つくりの集会があります。

「福音主義キリスト者平和市民の会」と「関西超教キリスト者戦争罪責告白の集い」と合同集会
とき:2月11日(月)午前10時~11時30分
ところ:日本イエス・キリスト教団芦屋川教会
講師:市川康則先生(神戸改革派神学校長)
    (阪急芦屋川・JR芦屋・阪神芦屋駅よりそれぞれ徒歩約10分)

日本同盟基督教団関西地区「信教の自由セミナー」
とき:2月11日(月)午後2時30分
ところ:蛍池聖書教会(阪急宝塚線・蛍池駅より徒歩5分)
テーマ:聖書信仰に立て歴史と向き合う
講師:正田眞次(「学座・とうごまの葉の下」代表)

信教の自由を守る集会
とき:2月11日(月)午後5時から
ところ:日本福音キリスト教会連合・神戸聖書教会(阪急六甲駅より徒歩5分)
開会礼拝:横谷俊一牧師(岸和田福音教会牧師)
発題:(順不同)
坂井純人先生(キリスト改革長・東須磨教会牧師)
瀧浦滋先生(キリスト改革長・岡本契約教会牧師)
徳永大先生(日本福音キリスト教会連合・門戸聖書教会牧師)
南野浩則先生(メノナイト・ブレザレン・河内長野聖書教会牧師)
閉会礼拝:正田眞次(「学座・とうごまの葉の下」代表)

これらの集会にも是非ともご参加ください。
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# by gakuza1994 | 2007-02-06 17:58 | お知らせ

学座通信巻頭言

学座通信巻頭言
「聴く力をやしなう教育」(通信11号)
《聴くことのできない人々》
人の話しを落ち着いて聴くことができない子ども達が増えています。興味がないとか、難しいとか、疲れていることなども原因ででしょうが、そもそも人の話しを聞くこと自体ができなくなっている、そのような子ども達が確実に増えているとしか思えません。
学習障害という病理的な理由からでなく、ごく一般に人が話すのを集中して聞けないという事態です。しかし目を転じると、これは子どもに限ったことではなく、若者たちや大人にさえも蔓延しつつあるように思います。小学校で子どもたちに絵本の読み聞かせをしたり、各地で幼児から大人たちにまで読み聞かせや朗読、さらにいろいろなお話しをさせていただいていますが、集中して聞くことができない大人の方々にも出会うことがあります。私の話しが難しいとか、興味が持てないといった理由もあるかもしれませんが、どうもそれだけが理由ではない、と思えてくるのです。 

《聴くことが軽んじられた生活》
 その理由は、人の話しにゆっくりと耳を傾けるということが日常生活で軽んじられているからではないでしょうか。生活の基盤である家庭で、親が子の、そして子が親の話しに耳を傾けることが激減しています。彼らの話しに割って入るテレビやゲーム、明らかにこれらのものが、目の前にいる人が語りかけることをじっくりと聴くことを妨げているのです。
 多忙。私たちがよく吟味することなく周りの勢いに押し流され、実は不要なものさえも生活に取り入れることで、親も子も多忙の中に埋もれて、最も大切なお互いが語りかけることに耳を傾けることをうっちゃり、お互いの心が亡くなる、これこそが多忙なのです。 
《聴くことで人は生き方を学ぶ》
 人は胎内にいる時から始まって出産の直後からすべて親が語りかけることばで、生き方のほとんどを学習します。何が危険なのか、何が大切なのか、生きる基本を、親が語りかけることばで学んでいるわけです。聞くことで学ぶ内容は、成長するに従い、単純なことからより複雑な事柄へと変化していくのですが、その内容を理解できるかどうかは、次第に聴く力にかかってくると言わざるを得ません。人として生きる上で大切なことは、年令によって変わるものではありませんが、歳とともに聴く力が求められてきます。ですから幼い頃から親が語りかけることばをしっかり聴く訓練が必要です。

《聴く力をやしなう躾けと教育》
 生来、人は聴く力が与えられています。けれども人の話しをより集中して聴く能力は、親はもちろん、子を取り巻く大人が養い育てるものです。とりわけ幼少期に子どもと共に最も多く時間を過ごす親が果たす役割は計り知れません。 
親が躾ける上で何よりも基本的課題は、人生の土台を築く幼少期に人の話しをしっかり聴く力を子どもに身につけさせることです。ルールを守ること、隣人の必要に応えることなど、聴くことなしに人は人間として生きられません。
そして聴く力は、親の語りかけ、とりわけ絵本の読み聞かせや朗読のような、幼子や子どもたちにとって楽しいお話しを聞くことから始まります。興味を引くお話しを聞くことがやがて忍耐強く聴く力を育んでいくに違いありません。
しかしすべては、まず大人である親が、子の鑑として、子どもが親に語りかけることばにじっくり耳を傾けることから始まるのです。


「もう一つの戦争罪責を負う」(通信12号)
《靖国神社公式参拝の意味》
 戦後六〇年を迎えてなお我が国の首相が「靖国神社の参拝を適切に判断する」と言い続け、内閣総理大臣つまり日本国を代表する立場で靖国神社を公式参拝することにこだわるのはなぜでしょうか。
首相の側に、中国や韓国を始めとするアジアの国々になんと非難されようとも全く動じない理由が存在することは明らかです。
 そもそも靖国神社に祀られている人は、明治維新以降、兵士またそれに準ずる立場で戦地で国のために殉じた人々です。その由縁は日本の歴史に脈々と流れる、万世一系の現人神である天皇が永遠に君臨する万邦無比なる神の国とする国家観(皇国史観)にあります。天皇のために戦い勝利した者こそが天皇の信任を受けて政治を執り行なうことを許されるという国家観に基づき、天皇のために戦死した者を天皇自らが顕彰するという国家による慰霊の施設です。
 戦後、憲法は信教の自由を保障し、政教分離を定め、靖国神社も一宗教法人となって国家との関係を断ち、国民が靖国神社を参拝する義務はなくなりました。加えて「国民の代表者が公式に参拝することは違憲」とする司法判例が出されてきたにもかかわらず、なお首相が公式参拝を断じて譲らないのには明確な理由があるのです。
 戦後になると国民主権を土台とする日本国憲法によって、天皇は、主権の存する日本国民の総意に基く地位すなわち日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると定められた(日本国憲法第1条)ので、もはや国民の代表ではなくなりました。日本国憲法下では、主権を有する国民の代表は、その国民が選挙によって選出した国会議員が指名する内閣総理大臣です。
 戦後に憲法が変わったことで、天皇のために戦死した皇軍の兵士を祀る靖国神社に天皇が国を代表して参拝することはできなくなりました。内閣総理大臣が私人としてではなく、公人としてすなわち国民を代表する立場で参拝することにより、天皇に代わって皇国のために戦死した兵士たちを軍神として栄誉を称賛するのです。
 従って天皇を国家の元首とする大日本帝国憲法下の国家と、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を柱とする日本国憲法に基づく国家との断絶、換言すれば戦前と戦後の不連続を、たくみに連続させるものが首相の公式参拝にほかなりません。 
《靖国神社に祀られる人々》
 靖国神社は約一四〇年の歴史を有し、起源は、一八六九(明治二)年の東京招魂社の創建にまで遡ります。その東京招魂社が一八七九年(明治十二)年六月四日に靖国神社と改称され、別格官弊社となります。東京招魂社の建設は、軍務省(のち兵部省をへて陸軍省・海軍省)によって行なわれましたが、靖国神社と改称されて後、内務省・陸軍省・海軍省の管理下に入りました。一八八七(明治二〇)年に神官制度は神宮を除き神職(官吏待遇)制度に改正され、靖国神社に関しては、内務省の神官任命権が、陸・海軍省の神官任命権に改められ、この時点で完全に靖国神社は内務省の手を離れ陸・海軍省の管轄となったわけです。
 靖国神社は、別格官弊社という社格の点で国家神道の体系のなかで重要な位置を占めています。  
たとえば一八七二年に最初の別格官弊社となった「湊川神社」は、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し天皇中心の政治を復活させた「建武の新政」実現に尽力した楠木正成が「祭神」として祀られていますが、靖国神社は、このような「忠臣」を祀る神社と同格でありながら、実際には他の多くの官弊社の上に卓越し、実質的には皇祖神を祀る神宮につぐ地位を得ていました。
 靖国神社は数多い日本の神社の中できわめて特殊な神社です。
 何故ならば靖国神社は、天皇・皇族を除くごく一般の国民が国家により祀られた唯一の神社だからです。
(台湾の植民地化のおり病死した北白川宮能久親王と日中戦争中に戦死した北白川宮永久親王の二人は戦後、靖国神社に祀られました)
各地に存在する神社には明治時代以前に活躍した歴史的な有名人が「祭神」となっている場合がありますが、社会的には名も知られていない国民が「神」として祀られているような神社は、靖国神社以外に存在していません。
日本国民が直接に国家の手によって祀られる唯一の場、それが靖国神社です。そして靖国神社の「祭神」となる条件は、ただ一つ「皇軍」の兵士として戦死すること以外にありませんでした。
靖国神社の「祭神」すなわち祀られた人々が誰であるかを考える上で最も象徴的なことは、東京招魂社の創建から今日まで靖国神社に「天皇の軍隊」に敵対する死者はだれ一人として祀られたことはないということです。
 誰が祀られてきたかということよりも誰が祀られてこなかったかが、靖国神社の性格と存在意義を端的に物語っています。
 一八六九年六月の第一回合祀で東京招魂社に祀られたのは明治政府軍(官軍)の三五八八人であり、同じ戊辰戦争で死んだ旧幕府軍(賊軍)および反政府軍は祀られてはいません。同年の七月に兵部省が東京招魂社の例大祭を、戊辰戦争の伏見戦争記念日(一月三日)、上野戦争記念日(五月十五日)、函館降伏日(五月十八日)、会津藩降伏日(九月二日)の四回と定めています。明治新政府が天皇のいる側すなわち「官軍」に敵対して戦死した「朝敵・賊軍」の戦死者は、日本人であっても排除して祀らないという、靖国神社合祀の方針が見事に凝縮しています。要するに「天皇の軍隊」の戦死者のみを祀ってきたわけで、「祭神」は、靖国神社が発表する「戦役事変別合祀祭神数」(二〇〇四年一〇月十七日現在)によれば次のように大別できます。その「祭神」合計数は、二、四六六、五三二柱です。
①国内戦である戊辰戦争と西南戦争の政府軍の戦死者
②日清戦争に始まる中国本土における侵略戦争の戦死者
③日露戦争の戦死者
④第一次世界大戦の戦死者
⑤台湾征討を始め、台湾・朝鮮・中国における植民地獲得と現地の抵抗運動弾圧のための日本軍人の戦死者
⑥大東亜戦争(太平洋戦争)の戦死者 
❶これらの中には台湾出身の合祀者と朝鮮出身の合祀者(約五万人)が含まれていますが、東京大空襲を始めとする空襲による一般戦死者、沖縄戦において軍人・軍属よりも圧倒的に多かった民間戦死者(民間人でも軍要請による軍務に従事中に戦死した準軍属は合祀対象となった)、広島・長崎における被爆死者など、数十万に及ぶ民間人の戦死者は靖国神社の「祭神」としては祀られていません。
❷当然ですが、台湾、朝鮮半島、中国大陸、ハワイ真珠湾、東アジア、また沖縄で「天皇の軍隊(日本軍)」と戦って戦死した外国人の兵士、広島・長崎で連合軍捕虜として被爆死した外国人兵士は勿論のこと、日本軍の侵略戦争や反日抵抗運動で死亡した民間人は全く合祀の対象から除かれています。
❶と❷の合祀の方針から以下のことが浮かび上がってきます。
 日本人であれ外国人(台湾・朝鮮出身者)であれ、「天皇の軍隊」の軍人として天皇のために戦った死者が「祭神」として祀られますが、「天皇の軍隊」に敵対した戦死者は、外国人であれ日本人(戊辰戦争や西南戦争の「賊軍」)であれ「祭神」として祀られません。
 台湾や朝鮮で植民地支配の侵略戦争で加害者として戦死した日本人と、その日本人による植民地支配の被害者であった台湾人や朝鮮人が共に「祭神」つまり「護国の神」として祀られてきたのが靖国神社なのです。何故なら日本人も台湾人・朝鮮人も「八紘一宇」の教えの下、大東亜共栄圏建設のために共に戦った「天皇の軍隊」の戦死者であったからです。
これらのことから次のことが明らかになってきます。
大元帥すなわち帝国陸海軍最高司令官であった天皇を輔弼(ほひつ)する義務を怠り、侵略戦争を指導した「平和に対する罪」ゆえに極東国際軍事裁判で有罪判決を受けた、東条英機元首相らをはじめとする十四名の「A級戦犯」が一九七八年一〇月に靖国神社の「祭神」として合祀されたのも、ほかでもない彼らがまぎれもなく「天皇の軍隊」の最高指導者であったからです。

 一九八五年(戦後四〇周年)の八月十五日、「戦後政治の総決算」を唱える中曽根康弘首相を始めとする閣僚が戦後初めて靖国神社を公式参拝した時に、「A級戦犯」が祀られているとの理由で中国から激しい抗議を受けたので、中曽根内閣は、「A級戦犯」を靖国神社から分祀することを企てました。
 中国や韓国が問題としたのは、宗教法人の靖国神社が「A級戦犯」を祀ったこと(一九七八年)が判明したからではなく、日本国民を代表する首相が、「戦後政治の総決算」を唱え「A級戦犯」の合祀が明らかとなった靖国神社に公人として参拝したからでした。
しかし中曽根内閣の努力も空しく、靖国神社宮司の「二五〇万柱(日本人も台湾人・朝鮮人も含む/筆者注)の霊が一つの同じ座ぶとんに座っている」という、靖国神社と他の神社の異質性を説く言葉や、「A級戦犯」分祀を説いた「A級戦犯」の遺族に対し同じく「A級戦犯」の遺族のひとりが語った「合祀の取り下げは、東京裁判という戦勝国の一方的な断罪を受け入れることになる。それでは、日本の国と家族のことを思って一途に散っていった二百四十六万余の英霊に申し訳ない」などの言葉に代表されるように、靖国神社と遺族の強い反発によって、中曽根内閣の「A級戦犯」分祀の企ては失敗に終わりました。
我国唯一の国定戦跡公園内にある「平和の礎(いしじ)」には沖縄戦での犠牲者を国籍に関係なく、記銘の対象としています。つまり日本軍の軍人、地元沖縄の防衛隊員・非戦闘員である一般市民さらには皇軍として戦い戦死した朝鮮や韓国の兵士また女性たち(彼らの場合は創氏改名の日本名でなく元の韓国名に戻す作業も含む)、台湾から来て戦死した人々、アメリカやイギリスなど連合国軍の兵士で戦死した人々の名前がみな刻まれています。
 「平和の礎」が敵味方また国籍に全く関係なく戦死者名を記銘したのは、この施設が敵味方に全く関係なく、戦争の全ての犠牲者への追悼の場であり、戦争そのものを否定し、「反戦」・「非戦」を志し、平和を誓い祈念する場とするためだったからに違いありません。
 太平洋戦争において日本で唯一地上戦を経験し、友軍と呼んで信頼していた日本(天皇軍の隊)に捨てられ殺害された者を始めとして、軍人以上に民間人が戦死した沖縄だからこそ願う、真に「平和」を築くための慰霊施設と言えます。
 戦争を肯定し、国家すなわち大元帥であった天皇が、その国民を「天皇の軍隊」として敵兵を殺すために戦地へ送り出し、戦死者を祀ることによって戦争を遂行することを目的とした靖国神社とは、その目的において全く異なっているのが「平和の礎」です。
《靖国神社合祀が果す役割》
 靖国神社に祀られる「祭神」が誰であるかを見ることで、合祀の基準が明らかになりました。その基準が、自ずから靖国神社合祀が果す役割と意味を確定します。
 国内戦を大きく上回る戦死者を出した日清戦争の直後(一八八五年十一月十四日)、福沢諭吉が主宰する「時事新報」は、その論説で「戦死者の大祭典を挙行す可し」と題し国家的儀式の開催を以下のように力説しました。

「何者に依頼して国を衛る可きか。矢張り夫の勇往無前、死を視る帰るが如き精神に依らざるを可らざることなれば、益々此精神を養ふこそ護国の要務にして、之を養ふには及ぶ限りの栄光を戦死者並に其遺族に与へて、以て戦場に斃るるの幸福なるを感ぜしめざるを可らず」
 皇軍兵士として戦地に赴き戦死した家族を失って悲しみ沈む遺族と戦死者を放っておいたのでは、次の戦争に国家(天皇)のために戦地に愛する家族を送り出すことは難しい、まして命を捨ててまで闘う兵士の精神を培うことはあり得ないだろうから、そのためには戦死者と遺族とに最高の国家的な栄誉を与えなければならない、と主張しているのです。つまり戦死することが幸いであると戦死者と遺族とが共に感じられるように、最大の栄誉を与える方策として国家的な慰霊の祭壇を築くことを次のように提案しています。
 これこそ「天皇の軍隊」として戦死した「祭神」を祀る靖国神社合祀が果たす役割です。 
「各地方に於ては戦死者の招魂祭を営みたれども、以て足れりとす可からず。更に一歩を進めて地を帝国の中心なる東京に卜して此に祭壇を築き、全国戦死者の遺族を招待して臨場の栄を得さしめ、恐れ多きことながら大元帥陛下自から為らせ給ひ、文武百官を率ゐて場に臨ませられ、死者の勲功を賞し其英魂を慰するの勅語を下し賜はんこと、我輩の大に願ふ所なり。」
国家的な慰霊の祭壇の前で、祭主としてまた「天皇の軍隊」の大元帥として、天皇自らが戦死者の勲功をほめ称え英霊としての魂を顕彰する勅語を下すことが、戦死者と遺族に最高の栄誉を与えることになると主張するのです。
多くの矛盾に満ちつつしかも激しいアジア諸国から抗議を受けてもなお国また国民の代表として首相が靖国神社に公式参拝しようとする理由を以下のように説明することができるでしょう。
「A級戦犯」の合祀が新聞報道で公けとなった一九七九年以降、戦前には「天皇の軍隊」の大元帥であり靖国神社の祭主を務めてきた天皇の靖国公式参拝の中断を余儀なくされてきたからです。首相の公式参拝を切望する遺族の多くが最終目標とするのは、間違いなく天皇自身による公式参拝であって、それが困難だから、そのつなぎとして行なっているのが首相の靖国神社公式参拝であることに疑いの余地はありません。
それでは戦後約三〇年間祀られることなく一九七八年になって「A級戦犯」が靖国神社に合祀されたのにはどのような意味があるのでしょうか。
先述したように、一つは単純に彼らが「天皇の軍隊」の最高指導者であったからでしょう。しかしもっと深い別の意味があることを忘れてはなりません。
太平洋戦争終結のために日本は無条件降伏しました。その後に日本政府が連合国の四八カ国との間でサンフランシスコ平和条約を締結し調印したことは、極東国際軍事裁判における「天皇の軍隊」による戦争が「侵略戦争」だったという判決を受諾したことを意味しています。この受諾によって日本は、戦後国際的に独立国家として承認され、国際社会に復帰しました。
ゆえに極東国際軍事裁判で被告であった「A級戦犯」が合祀された靖国神社に首相が日本を代表する立場で公式参拝するとすれば、それは極東国際軍事裁判だけでなく、サンフランシスコ平和条約をも反故にしてしまい、国際社会が認めた独立国家としての条件を自ら放棄することを意味します。
にもかかわらず、靖国神社への公式参拝を願う人々が日本国民を代表して首相さらに戦争の時代に「天皇の軍隊」の最高司令官であり靖国神社の祭主であった天皇自らが靖国神社に公式参拝することを熱望するのは、国家と天皇のために戦地に赴き命をささげた戦争が侵略戦争であったとする戦勝国による判決を断じて拒みたいからに違いありません。
突き詰めれば、靖国神社に祀られている「英霊」たちはアジア諸国(大東亜共栄圏)加えて愛する日本の家族を、欧米列強から護り解放する正義の戦争を闘った、とする歴史観を日本国民に植つけたいからです。そればかりか、諸外国に対しては極東国際軍事裁判の判決を否定し、「A級戦犯」は侵略戦争ではなく正義の戦争を指導したのだ、と主張することに執着しているからにほかなりません。
それらは「自由主義史観」に立つ「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した『新しい歴史教科書』(中学校)で明確に述べられています。この教科書の序章の書き出しで「歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである」と記述されていることから明らかなように、首相と天皇の靖国公式参拝を望む人たちは、戦争を指導した「A級戦犯」はもちろん天皇と国民のために戦った兵士に至るまで、あの時代(過去)に生きた全国民が太平洋戦争(大東亜戦争)が、欧米列強諸国の植民地化からアジア諸国と祖国の家族を解放するために戦った正義の戦争(聖戦)であると考えていた、という歴史観に固執していると言わざるを得ません。
言い換えれば、「A級戦犯」の合祀を取り止めたり分祀するならば、国家のために殉じた「A級戦犯」以外の軍人・軍属たちの死の意味さえも霧散してしまいます。靖国神社から「A級戦犯」を除いたならば、皇軍兵士として戦地に赴いた戦死者の勲功を讃え、戦死者と遺族に最大の栄誉を与え、更に先の戦死者に続いて皇軍兵士を戦地に送り出し、戦死することがいかに幸いであるかを感じさせる靖国神社ではなくなるのです。
「護国の神」また「英霊」を祀る靖国神社に「A級戦犯」は欠くべからざる「祭神」であり、「A級戦犯」抜きの靖国神社はもはや存在し得ないことは明々白々です。
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# by gakuza1994 | 2006-08-15 18:33 | 学座通信巻頭言1